またまた飲み過ぎてブログの更新が朝になった

本日は、処理しなければいけないメール(取材原稿の直しなど)が多すぎて、6時過ぎに起きたのに、今ブログを書き始める

あと、ネットのニュースで、特定秘密保護法案が衆院を通過したと知って、ちょっとした怒りにふるえていたので、それも時間をとった

みんなの党の造反はともかくとして、自民党は一人しか退席しなかったとのことだ

自民党のリベラル派はどこに行ったのだろうか?

私は政界の再編成を、やはりアメリカやイギリスに習って、保守とリベラルという風になるといいと思っていたし、民主党の中にも、かなりゴリゴリの保守の人もいるので、自民党のリベラルと民主党のリベラルがくみ、民主党の保守と自民党の保守が組めばすっきりすると思っていたが、民主党が勝った選挙で、自民党の代替わりが起こってしまって、自民党は、完全に「保守」政党であることが明らかになった

どうしても通したい法案だったのか、「第三者機関の設置を検討」などと決まってもいないことが盛り込まれるというめちゃくちゃな法案である

景気がよくなるかもしれない期待で、まだまだ自民党人気が続くのだろうが、犠牲が大きい割に得る者が少ないことに多くの人が気付くと私は信じる

さて、本日、メールを処理するために、ざっとメールを見渡していたら、私の「思秋期」というネーミングが、「確かに、この歌が出たときは、思秋期と18歳のイメージが結び付かなかったのですが、 今やきれいな歌声とイメージが固定されており、壊してほしくないと熱望しています。」だという抗議というか、要望のものがあった

私も、思秋期ということばを使ったときに、「昔、そんな歌があったね」と何人かの人に指摘されたが、思春期に対応して作ったものだという話をすると、たいていの人が「それは、面白いね」と言ってくれる

出版社が、思秋期を前面に押し出さなかったのは、昔の曲への遠慮があったのかもしれない

当時は、映画青年だった私は、テレビをほとんど見ていないので、そこまでこの曲に思い入れがない(というかメロディすらさびの部分しか思い出せない。たぶん、当時よく聞いていた深夜放送ではかかっていたはずだが、当時の深夜放送ではかかる曲がフォークがメインで、歌謡曲はおまけだった気がする)

ということで、この方のご要望に答える気はない(この意味で、思秋期という言葉を使うのはオリジナルだと思っているが、思秋期という言葉は私が作ったと名乗る気もないことはもちろん断っておく)のだが、秋を思う、秋を感じる時期が昔と違うのだろうなというのは、非常に参考になった

岩崎宏美さん世代の女性、あるいは、阿久悠さんは、高校を出る時期に、もう若くないと秋を思うと考えられていたのだろうし、そういう共感も得られていたのだろう

バンバンの「『いちご白書』をもう一度」とか、風の「22才の別れ」では、22歳になるともう若くないということが強調されていた

今は、就職しても、学生気分が抜けないとか、フリーター、パラサイトを続ける人が多いし、40代になっても、50代になっても、老いを否認して、若々しさを強調するし、そのための努力を続ける人が多い

私が多くの高齢者を診てきた医者の立場とか経験からいうと、そのほうが老けこむのが遅いし、高齢になっても健康でいられるようだ

だから、あえて「思秋期」ということばは使い続けたいし、提唱し続けたい

ところで、本のタイトルは勝手に変えられるし、書店にいっても、どこにおいてあるのかわからない状況であるにもかかわらず、とうにかこの本は売れているようだ

すぐに3刷りが決まった

女性誌の著者インタビューにも出るし、本日もラジオの取材だ

じわじわと「思秋期」ということばが広がっていくように念じている
(いつかは、「思秋期」という言葉を前面に出した本でベストセラーを狙いたい)