スポーツの世界で優勝の経験があるという人から、こんなメッセージをいただいた

「大人がスポーツが素晴らしいものだと言えば(実際、優勝した時は素晴らしい経験と思ってしまいます)、子供は何とか期待に応えようとします。体罰があっても我慢します。でも、本来、勉強出来るはずの子供たちから多くのチャンスを奪うようなことを大人が推奨していいはずがない。大人や学校がスポーツの道を進む場合の行く末を説明し、負け組を勉強面で敗者復活させる体制を整えれば、挫折を知っているなかなかよい人材が育つのではないかと思うのですが。」(引用終わり)

一方、こんなメッセージも別のおそらくスポーツマンの方から

「さて、スポーツで心が鍛えられるか?とのことですが、個人的には十二分に鍛えられると思っています。ただ、それは監督、コーチなどの周りのスタッフ、ならびに部の雰囲気がどうか?という前提が非常に大切になります。」(引用終わり)

私は、確かにスポーツを現在やっている子どもに、推薦で得をさせるより、彼らが本気で勉強をさせて、後から受験で、医者なり東大に行けるシステムを作るほうが賢明だと思う

彼らは大脳皮質も発達しているし、努力を厭わないところがあるから、ちゃんと勉強したら、そこそこのものになると思う(私の同級生で日体大から東大医学部にきた人がいる)

今の入試体制も2-3年で突破できると信じる

確約はできないが、できるだけ応援するから緑鐵にきてほしい

あと、スタッフのいい学校がどれだけあるかにはかなり懐疑的だ

さて、体罰が必要かどうかについての議論は昔からある

ただ、教育評論家の森口朗氏によると、体罰は日本の伝統ではないようだ

戦前でも体罰は禁止されていた

体罰を学校で当たり前にやるようになったのは昭和10年代に軍事教練が学校で行われるようになって、軍人が学校に入ってからだそうだ

そして体罰教員と言うのは、その時代に影響を受けた教員、つまり大正生まれと、その時代に生徒だった教員、つまり昭和初期までの話のようだ

ということでその人たちが定年になる昭和50年代から体罰はかなり減った

そして、体育会系の体罰文化があるところで育った人だけが体罰教員として残ったらしい

ただ、私の印象だが、体罰でスポーツが上手くなるとは思えない

体罰をやらない国のほうがむしろ金メダルは多い

ただ、しつけには体罰は必要と言う意見もある

たとえば、人を殴る子どもには、殴って痛みをわからせないといけないという話もある

それは納得できないことはないが、近代国家は私刑は禁止されている

たとえば、自分の身内が殺されたからと言って、加害者を殺すことは許されないし、刑事罰を受ける

被害者の悔しさを国家が代わりに処罰してくれるのが近代国家だ

だから、人を殴る子どもがいても、教師が殴るのは私刑である

本来は代わりに警察が逮捕して、刑事罰として、処罰しないといけない

ただ、今の警察は拷問もしないし、刑務所や少年院は暴力もなければ、平和でそれなりにおいしいものが食べられるという(だから、生活保護を受ける代わりに、刑務所に入りたがる老人が多い。セックスが出来ない以外の不便がないのなら、セックスをする元気がなくなれば刑務所のほうが、嫌がらせを受けながら生保を受けるよりましと思うのだろう)

やはりシンガポールのようにむち打ち刑は必要かもしれない(シンガポールでは学校でも行われているようだが)

確かに、シンガポールは学力も高いし、経済成長もしているが、治安はいいし、自殺率も日本よりは少ない

むち打ちは残酷刑ではなく、やはり人間を矯正するのかもしれない

ただ、それはやはり体罰としてやるのではなく(シンガポールでも学校長しか許されていない)、やはり刑事罰としてやるべきだろう