昨日は、私の勤務する臨床心理の大学院で、私のかかわるある患者さんのケースカンファレンスを3時間ぶっ通しで行う

守秘義務があるので、ある程度改変して書くが、勉強はできるが、ある障害をかかえ家庭内暴力をふるう子どもをどう支えていくかという話だ

親も子も面接にきて、親に対しては親の接し方の相談にのり、子に対しては子のくやしさをわかってあげるということを繰り返す

そうこうしているうちに、私の本の愛読者である子どもが、私に将来の相談をしたいというリクエストを出し、私なりにまじめに答えてみた

そうして以来、その子が落ち着いたというのだ

一生懸命が通じたのか、あるいは、世の中の本当の現実を伝えたり、その子の潜在能力を認めてあげたのがよかったのか、提案した勉強法が納得できるものだったのかはよくわからない

ただ、非常に感謝されたというのは嬉しい

その家族はわれわれに全幅の信頼を寄せてくれたようで、まだ心の問題を抱えていない、その男の子の下の兄弟まで、これから問題が起こらない予防として、通ってくるようになった

カウンセリングというのは、すべてが認知行動療法的とか、ロジャーズ流とか、プレイセラピーとか、つねにこころの治療というわけではない

現実問題の解決に、親身になること、相手から見て頼れる存在になることというのは治療場面では非常に大きい仕事だし、そっちのほうが、現実には患者さんをよくすることは少なくない

私にしても、受験勉強法のプロであることや、高齢者福祉の方法論について、おそらくほかの医者と比べ物にならないくらいの知識をもっていることが、精神科医としても、臨床心理のスーパーバイザーとしても役立っている

ほんの僅かに有名であるおかげで、患者が理想化してくれるのも、実は役立っている

臨床心理学というのは結果で勝負するところがあるので、勉強法のサポートをしたら勉強ができるようになって、自信を取り戻したとか、意欲がでてきたなどということも含めて、意外に心理学的でないことが役立つことが多いし、私のように世間から見ていい加減にみえる人のほうが、心理一筋の人より使えることもある

逆に、いろいろと解釈したり認知を変えようとしても、的外れのためによけいに仕事ができなくなったとか、人間関係が悪くなったような場合には、おちこむ

日本では、クライアントもセラピストも難しく考えすぎるところがあるが、臨床心理は結果で勝負だとあえて言いたい