昨日、筆が(PCが)すべって、消費税を上げても内需が絶対に増えないと書いてしまった。私の辞書には「絶対」がないはずなのに、お恥ずかしい限りである。ブログからは消さないが、これも、私がつい感情的になったご愛嬌と思ってほしい。

朝、娘を駅に送る途中で、久保純子のラジオをやっていた。

娘が、久保純子はなぜ有名になったのか?という素朴な疑問を呈した。私もうろ覚えながら、プロジェクトXか何かのアシスタントで大人のファンもつかんだのだろうという話をした。

膳場貴子さんもその番組だったのではないかという話になった。

さて、ここで重要なのは、アナウンサーというのは、その人の能力とか才能もさることながら、どの番組に出たかで、その後の知名度や影響力がずっと違ってしまうということだ。実力以上、自分が勉強していること以上に、高い評価や高い影響力をもつこともあるだろう。逆に、すごく勉強しているし、高い実力ももっているのに、それだけの知名度も得られず、そのためにほとんど世間に影響力を持てない人もいるはずだ。

そして、そういう際に得られた知名度を利用して、さらに知名度や影響力を伸ばす人もいる。膳場さんなどは、民放の夜の番組のメインキャスターになったのだから、世間からはすごい人と思われているだろうし、影響力も大きい。

人間というのは肩書きや知名度に弱い生き物だ。その人の実力はどうあれ、その人がすごい肩書きや知名度をもっていれば敬意を払う。だから、お天気お姉さんあがりの人でも、その人が経済番組のメインキャスターになれば、財界の偉い人や経済学者まで、一目置いてしまう。

新聞記者上がりや、ニュースの解説者上がりの人がキャスターになると、ものすごい影響力をもつ。そういう人がテレビで言うことが、経済学者などよりはるかに正しく聞こえることが多いし、実際、世論を動かすこと、政治に大きな影響力を与えることも珍しくない。

もちろん、膳場さんにしても、小谷さんにしても、池上さんにしても、自分たちの立場を考えて勉強するのだろう。いろいろな偉い人からダイレクトな情報を得られることもあるから、下手なエコノミストなどより優秀なのかもしれない。あるいは、いろいろな形で大衆心理を感じ取ることができる分だけ、現実的には、妥当なことが言えるのかもしれない。

もし、そうだとすれば、大学の研究室にこもっていたり、なんとか総研のようなところでエコノミストをやっていなくても、それ並やそれ以上に、経済のことがわかる人とか、経済予測が妥当な人もいるかもしれない。机上の空論より正しいことだってあるだろう。

何が言いたいかというと、これはひがみかもしれないが、私のような多少心理学をかじった医者が経済のことを論じても、素人扱いをされて、相手にされないことが多い。

私だって、おそらく並の経済学者より数学はできるだろうし、心理学だって勉強している。ケインズやクルーグマンなら日本語になっているものは大体読んだ。

経済学は理論通りにいかないし、心理学を取り入れないといけないというのは欧米ではトレンドだ。

古い経済理論の人がどう考えても、その通りいきそうにないことを論じていても、それが立派な理論だと信じさせられている。

たとえば、テレビの討論番組でも、景気対策というと、官僚上がりの人、エコノミストの人、一部財界人などでパネリストが占められてしまう。私が呼ばれるのは教育問題か医療問題のときだけだ。

でも、これまでの思考の枠組みで解決がつかない問題であれば、別の角度から考えられる人を入れないと、話がこう着したままにならないか?(これは審議会の委員も同じである)

テレビの場合は、別の角度からちゃちゃを入れるのは大抵タレントだが、その人たちのちゃちゃが浅いし、偉い学者やエコノミストに反論されるとあまりに簡単に説を引っ込めてしまう。

唯一、そういう人に逆らえるのは、本来は専門外だが、影響力が大きく、昔から大きな顔をしたキャスターの人たちくらいだろう。彼らはマスコミにいたというのだけが強みであっても、その強みは何より強い。

いずれにせよ、解決がつかない問題ほど、いろいろな人に参加してもらえないと、ユニークな、あるいは、今のこう着を打ち破る解決案が出てこないのではないかという考えも、やはり私の僻みからきたものだろうか?