昨日は妻が郷ひろみのコンサートに行ってきたのだが、朝起きたら、あまりのみすぼらしさに嫌になると言われてしまった。

朝から不愉快な思いをしていると、

http://blog.livedoor.jp/nnnhhhkkk/archives/cat_60243329.html

というブログを読めというメッセージをいただいた。

親切なのか私の無知を諌めるつもりなのかはわからないが、私に対するネット上の批判は、この手のものも含めて匿名のものがほとんどである。一見、経済学の理論がいっぱい並んでいるから、賢そうに見えるし、何度も言うように私が正しくて、このブログが間違っているというつもりはない。

私が言いたいのは、経済というのは理論どおりにいかないということだ。現実に格差が広がってからのほうが内需がぼろぼろであるし、ナチス時代のドイツ、戦後不況を経験しなかったアメリカ、高度成長期の日本のように格差を意図的に小さくする税制を採用した国が経済的に発展したことは事実だろう。

私は基本的に理論よりエビデンスを信じる立場だ。理論家の側からすると分子生物学まで持ち出して、LDLコレステロール値が高いのは体に悪いというが、エビデンスの上では、コレステロール値が高い人のほうが長寿傾向にあるという場合、人間の体は複雑なので、理屈どおりにいかないものだと割り切って後者を信じるのが私の立場だ。

そうした際に、旧来の経済学の理論よりもクルーグマンの言っていることや、格差の解消のほうが内需拡大につながるように見えるのが私の立場だということだ。

もう一つの私の人生観は、試してみなければわからないということだ。竹中氏のような経済理論であれ、私のような理論であれ、どちらが当面の正当性をもつか(これも永続的なものではないだろうが)は、実際に、それをやってみてどちらが(一部の犠牲は出るが)結果的に経済が成長するかによって判断するしかない。それまでは、私の言っていることが間違っているとは断言できない。私が日本の経済をボロボロにする人々にリストアップされているのは名誉なことだが、私の考えが、まったく経済政策や企業経営に反映されていないのだから、たとえば実際に文部行政にかかわっていた寺脇研氏などと違って、ぼろぼろにしようがないのである。

偽善者ということについても、私は偽善というものは存在しないという考え方だ。

心根は汚いのに、勲章がほしくて貧しい人に寄付する人と、偽善はいやだといって寄付しない心のきれいな人なら、前者のほうが残念ながら社会にはありがたい。

私も長らく人間の心理を扱ってきて痛感することだが、人間の心の中などそんなに簡単にわかるものではない。結局、いい事をする、いいことを言うかどうかで判断するしかない(これも価値判断だが)。

いくら心根がきれいな人でも、人を傷つける犯罪者になるのでは、やはり悪人と呼ばれても仕方がない。

ただ、その主がセオリーという雑誌の受け売りで、石原裕次郎が500坪の豪邸に住んでいたとか、カシオの社長が1000坪の家に住んでいることをもって成城の土地が売り出されたときに140坪と私が書いたのを捏造と断じるのは、ある程度の根拠をもって反論できる。

書いた主は成城に住んだことがあるのだろうか?成城であれ、田園調布であれ、当時の(とくに地方出身の)大卒(もちろん比較的裕福な層だ)のサラリーマンを対象に売りに出された今でいうニュータウン(今は言わないか?)である。東上線の常盤台もそうである。金持ちの別荘地であった芦屋とは成り立ちが違う金持ちの住む町とは違う伝統を持つ町である。(本物の東京の金持ちは、もっと都心部に住んでいた)

そして、デベロッパー(田園調布の場合は東急だが、成城は学校のほうが資金つくりに売り出したという説もある)が、きちんと区画整理して売り出したものである。

石原裕次郎宅もカシオ宅も、その外側にある。自動車の送り迎えがあるからいいが、かなり駅から遠いところだ。

その区画を見る限り、一区画600坪などということはありえないし、私も近所にカルピスの創業者一族が住んでいて、その古い家も知っているが、140坪程度だった(これは、実際にその家族からも聞いた話である)。実は現在の成城を住宅地にしたのは、成城学園が現在地に移転した大正14年程度の話である。140坪が正確な数字でないかもしれないが、5,600坪が当たり前ということは、住宅地になって、まだ80年ほどしか経っていない旧分譲地内で(もちろんまとめて2区画、3区画買った人はいるだろうが)、代々商売をしている人もいるのに、そのような家(成城の区画内の豪邸はせいぜい200坪程度である)が一軒も残っていないことからして矛盾である。

第一、成城が売り出された当時、砧村といって、とても金持ちが住むというイメージの土地ではなかった。むしろセオリーという雑誌の捏造のほうが問題である。

些少な言い争いをしても仕方がないが、匿名だと、根拠をろくに提示せず、うそを言い放題なのは、(たとえば俺は不動産に詳しいとか言っても調べようがない)なんとかならないものなのだろうか?

さて、感情的になってしまったが、やはり覚せい剤の被告の東京医大への、無診察入院は納得できない。

東京拘置所に勤務経験のある精神科医に聞いても、それがありえるとすれば、拘置所の医者が紹介状を書いた場合に限るのではないかということだ。

実際、入院しなければいけないほどひどい状態なのに、拘置所の医者にちゃんと見せた形跡があるのか。別の合成麻薬でつかまった人間は、実際に精神症状が出て、警察病院のお世話になっているとのことだ。

東京拘置所には、精神科や泌尿器科の医者はちゃんといる。

そういう人にかかっていないのに、即入院というのは、やはり納得できないし、レセプト詐欺の疑いさえ感じてしまうのは私だけだろうか?