昨日は、山形で国際医療福祉大学の薬学部のフォーラム。これからの時代の薬学部卒のあり方や将来性を論じた。

私自身は、高齢になるほど、薬をたくさん飲むことがかえって寿命を縮める可能性が強いと考えているので、どのような薬の飲み方をすべきかのアドバイスや薬の飲み合わせのアドバイス、そしてその研究において薬学部卒、薬剤師などの将来性は大きいと思っている。また前にも述べたが、IT、FT(金融工学)の次はBT(バイオテクノロジー)の時代になると思っているので、その点でも薬学部卒には意義がある。

そういう話を講演でしていたのだが、たまたま和田式で勉強して、非常に成績があがり、東大の理系の学部に入った人から、これからの理系の研究者の将来性や、将来、むしろ金融などを選んだほうがいいのかなどというメッセージをいただいた。

これは、実に意味深いものだ。

確かに金融にしても、ITにしても、あるいはBTにしても、理系の知識を必要とするものだし、昔であれば考えられなかった金融系の企業が喜んで、工学部卒などを採用することはざらになったし、とくに外資系はそうだ。しかも、破格の高額報酬でである。経済学部を出ている人間が、とくに私立大学の場合は、数学が入試に課されていないと、まともに数学ができないので、この傾向は今後も続くだろう。ほかの業種だって、数学ができる人、理系に強い人はほしい。

それと比べて研究者の場合、確かに日本では、まだまだお金になるとはいいがたい。

たまたま、理系の人材難ということがあって、学校名を選ばなければ、すごい業績を残さなくても、東大を出ていて、研究職に残っていれば、どこかの教授くらいにはなれるだろうが、収入面では民間企業にいった人のほうがいいはずだ。

だとすると、研究を続ける動機は3つくらいが残るだろう。

一つは研究そのものが楽しくて仕方がないという場合だ。これは趣味を仕事にしているようなものなので、私だって、映画監督になれるのなら収入が激減しても平気でいられるように、世間の評価はどうあれ、楽しんで続ければいい。お金が悪いといっても、売れないミュージシャンや映画監督よりよほどましだ。

二つ目は、すごい研究をやって名誉欲や金銭的に恵まれることを期待することだ。ノーベル賞やフィールズ賞をとれれば、お金はなくても自尊心は満たされるし、一部の人には一生尊敬される。また、これまでは研究職は貧乏と相場が決まっていたが、山中教授たちの研究に莫大な国庫からの資金がつぎ込まれることも決定したし、国立大学でさえ、学内ベンチャーも認められ研究した内容で起業して株式を公開して大金持ちになる道も開けてきた。もちろん、特許も大もうけにつながる確率はゼロではない。ばくち的な人生だが、夢を追うのは悪くない。

三つ目は、名誉が満たされることだ。確かに、今は拝金主義で、人に言えないような商売をやっていても、お金をもっていたら青年実業家のような顔をする人は確かにいるが、やはりまだそれを低く見る人はいる。大学教授や研究者を固い人と見る人はいても、やはり一目置かれる存在ではある。金より名誉やステイタスを選ぶというのは日本では昔からある考え方で、医者の世界では、いまだに教授のほうが開業医よりえらいと思っている人は多い。

その三つのどれにもあてはまらないのなら、進路変更を考えるのもいいだろう。

でも、どれかにあてはまるなら、せっかく東大にいったのなら、研究の道でがんばってみるのもいいと思う。そういう人が日本で減っているのが問題だから、私は個人的に応援はしたい。