昨日、テレビ局でギャラの高い人間が淘汰されることに期待すると書いたが、面白い人間が出る以上に、貧しい人の気持ちがわかる人間に期待したいということを追記したい。年収1億円以上のタレントやキャスターにとっては、累進課税に戻せという発想は絶対に出てこない。そういう人間に出てきてほしい。

ところで、いよいよ明日25日が『受験のシンデレラ」のセル&レンタル開始日だが、これでなんとか捲土重来といきたいと本気で思っている。

とにかく1作で終わっては監督とは言えないだろうから、なんとか2作目が取りたい。企画はあるが金が集まらない。

この映画をとるに際し、私は映画を撮るために医学部にはいったことをあちこちに書いて、賛否はともかくいろいろと反響がある。これは大手の映画会社が助監督を採用しなくなったからなのだが、映画監督になる道は、テレビ局経由(当時これを知らなかった)以外は、ピンク映画の助監督(にっかつまで助監督の採用をやめたのだ)になるか、自主映画を撮るしかなかったのだ。私は後者を選ぶべく、金と自由が得られそうな医者の道を選んだ。

ただ、学生時代に16ミリの映画を撮って、あまりに段取りが悪くて頓挫したために、映画の現場で使い走りをしたことがある。一つが大映テレビというテレビ制作会社で、もう一つが獅子プロというピンク映画の会社だった。

大映テレビで映画の段取りを覚えたのだが、当時の獅子プロは梁山泊のような面白さがあった。私は実はピンク映画の使い走りはしたことはなく、ピンク映画の会社が防犯映画を作っていたので(この共存が日本のプロダクションのシステムなのだろう)、それの使い走りになった。このときの主演男優が無名時代の石田純一だった。

さて、そのときに助監督から監督に上がるとかあがらないとかだったのが、『おくりびと』の滝田洋二郎さんだった。先輩の監督(ピンクでも文学青年崩れが多かった)から字が読めないとかばかにされながら、シャープな作品を作り続けていた。

いつしか、コミック雑誌はいらないで一般映画にデビューし、病院に行こうとか木村家の人々で、高い評価を得た後も、とても謙虚な方だった。先輩の監督がテレビのプロデュースをした際も、自分のほうが大した物なのに「大した人ですよね」とか言っていたし(何のパーティでお会いしたか忘れたが)、私のような使い走りのことも覚えていた。

勉強家で黒澤明のコンテ集か何かを一生懸命勉強していたのだが、私が通りかかるとあわてて隠すところがこの人らしいと思った。

顔がハンサムで知的だったのだけがものすごく印象に残っていたが、昨日テレビをみたらずいぶん老け込んだかなと思った。まだ50台の前半のはずだ。コメントもずいぶん謙虚だったが、あのような自信に満ちたうれしげな顔は初めてだ。彼としても会心作なのだろう。

私は昔の話題作はものすごく評価していないが、『バッテリー』をみて、すごく演出がうまくなっているのに驚いていた。こんなことをいうと不遜だが、たくさん撮るとこんな風になれるのかと感じ、私もなんとかしなきゃと思ったのは事実だ。

向こうは私のことなど覚えていないだろうが、こういう努力人、苦労人が世界的監督になるのはうれしい。

私も何とか、この世界で生き残りたいと思った。