昨夜は波頭亮さんがコーディネーターを務める21世紀文明構想フォーラムというのに出た。

伊藤穣一さんがレポーターでCreative Commonsの話を伺う。

ウィキペディアにせよ、リナックスにせよ、オープンにすることで、ものすごい勢いで進化したことと、自分の著作や著述などを、名前や出典さえ明記してくれれば、自由に引用してもいいよという学者や文化人が多いことから、CCのマークの後に、引用の条件(名前は明記とか、非営利目的なら可とか、改変不可とか)のマークをつけておくことで、その条件のもとならいちいち許可を取らなくても引用や使用を自由に認めるというものだという。

いいアイディアと思う。

実は、私も、きわめて小さな規模で似たようなことを考えていたことがある。

自由著者連盟というのを作りたかったのだ。

最近は入試問題の著作権がうるさいらしい。

とくにそれを過去問に載せる際に問題になるそうだ。

一方で、朝日新聞のように入試問題に出ることを売りにしている新聞社もある。

個人が書いたものだと許可がうるさいが、朝日なら確実にOKということになると、ますます朝日新聞から出題されることになり、思春期の子供たちが朝日カラーに染まってしまう。

そこで、自由著者連盟というのをつくり、日本の子供の国語力向上のために協力する著者の会を作る。

そして、出典さえ明記してくれれば、引用を自由に認めるというものだ。

もちろん、入試問題だけ可とか、教科書も可とか、参考書や問題集でも歓迎という著者もいるだろうから、そのリストにCCと同じようなマークを明記してもいい。

今でもその夢は捨てていない。

実際、お金の問題以上に自分の書いたものを読んでほしいと思う著者は多いはずだ。だから、ブログなどを無料で公開するのだろう。もちろん、私もその一人だ。

ただし、ルールはある。

出典の明記は最低の条件だが、自分が書いたもののような書き方で延々と流用されるのはさすがに頭に来る。

自民党と公明党の東京都議の連中が、遊びに行ったのをごまかすために視察に行った内容の報告書で10年以上前の論文を8ページに渡って盗用したらしい。論文やレポートの作り方の基本がわかっていないと留学帰りの娘が憤慨していたが、なぜニューオーリンズの災害を視察して、10年以上前の論文の内容で答えられるのかも不思議な話だ。

都議会の事務局があわてて、参考文献として書くのを忘れたとか言っているが、参考文献というのはそういう使い方をするものではない。以下は、~~の引用です。と明記しないといけない。しかも、その場合は改変権も認められていない。前に中山治とかいう人に長文引用されたが、出典もページ数も明記してあったが、勝手に文章が変えられていた。顧問弁護士を通じて抗議をすると言論弾圧だと別の本で私を非難した。
日本は法治国家とわかっていない人、著作権の基本がわかっていない人が著者になれる国とあきれたことがあった。

だから、事務局のミスですませられるものでない。

民主党も似たようなことをやっていて、ともに共産党がみつけたようだ。

確かに、政権交代もいいが、共産党のチェック機能(絶対に政権につかせないという前提であるが)は貴重だと痛感した。

次回は、共産党にでも入れようか