論評は事実をもとにするのがジャーナリズム。想像での論評は何と表現したらよいだろうか。

しかも、ジャーナリズムがジャーナリズムの力を過小評価するような内容。ジャーナリズムはそんなにやわではない。

昨日の河北新報の一面コラム「河北春秋」。

「報道ステーション」の古館氏、「NEWS23」の岸井氏、「クローズアップ現代」の国谷氏が、いずれも政権の圧力を受けたテレビ局が降板させたかのような書きぶりだが、政権から圧力があったからといってキャスターを降板させるほど、テレビ局はやわではない。
また、政権があからさまに圧力をかけるようなことはそもそもあり得ない。
報道の自由の観点から大問題になる。

ただ、政権幹部による、あのニュースは事実じゃないのではないですか?といった問い合わせや、ちょっと一方的過ぎるのではないですか?という感想を、”圧力”と感じたなら、むしろメディアの人間は、”そんな事を言ってきたのか、一矢報いてやろう”とする人物が多い。

圧力がかかったからキャスターを降板させるなどということがテレビ局で起きたら、その権限を行使した人物は局内で大きな批判にさらされるとともにその地位を失うはず。
そもそもテレビ局にとってはそんなことをしたら最大の汚点で、するはずがない。

これはNHKで16年過ごし、各民報テレビ局にも仲間がいる私が実際に感じてきたこと。
仲間は現在番組プロデューサーであったりディレクターであったり、先輩はさらに上の権限を持つ局長であったりするが、圧力で降板させるなどということは聞いたことがない。

このコラムでは、NHK「クローズアップ現代」を政権に辛口な番組と述べているが、政権批判はあまりせず政権にとっては優しい番組だと思う。
そして、国谷さんの降板には、番組自体がどうのこうのという以外の理由があり、NHKはそれでも国谷さんに番組を続けて欲しいとお願いをし、国谷さんはそれに応えてきたと聞いている。

ジャーナリズムが、正確な事実に基づかず他のジャーナリズムをおとしめるような行為は、ジャーナリズムの自殺行為だ。

繰り返し述べるが、ジャーナリズムはそんなにやわではない。