安倍昭恵総理夫人のニューヨークでの、巨大防潮堤問題についてのスピーチ。

素晴らしいです!こうした意識を持って与野党の議員が行動すべき。私も戦います!!


※以下安倍昭恵夫人のスピーチです。


9月25日、ニューヨークのフォード財団にて

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 ご紹介、ありがとうございました。ジェイニー、アイリーン。あれは、5月26日のことでした。お二人が東京に来て、私を訪ねてくれました。今日の機会に、導いてくださいました。ご覧ください。ほんとうに、こうしてやって来ました!!


 これから私の、短い話を聞いてください。日本語でも、私はあまり速く話しません。英語ですと、もっとゆっくりになって、きっと多くはお話できないと思います。


 実はそんなに、たくさんお話する必要はありません。日本が抱えている問題のうち、今日はひとつだけ、お伝えしようと思っているからです。そして皆様のお知恵を、ぜひ頂きたいと思っています。


 気仙沼というところが、日本の東北地方にあります。いくつもの歌に歌われる、風光明媚なところです。新鮮な魚介、海の幸に恵まれています。


 あるとき、その海の幸は、山から流れてくる養分に依存していることに気づいた人たちが現れます。森を育てない限り、海の水を豊かにできないこと、美味しいカキは育たないことに気がついたその人たちは、進んで陸(おか)に上がり、森に木を植える運動を始めました。


 NGOをつくり、それを「WDS」、「森は海の恋人(Woods, the darling of the sea)」と名づけます。気仙沼が生んだ歌人、熊谷龍子(りゅうこ)という人の歌から、その名前がつきました。


 歌を、オリジナルの日本語で読んでみましょう。独特の韻律を聞いて下さい。「森は海を、海は森を恋いながら、悠久よりの、愛紡ぎゆく」――The forest is longing for the sea, the sea is longing for the forest、という意味なのです。


 2011年3月11日、そこへやってきたのが、あの恐ろしい津波でした。気仙沼は、最も甚大な打撃を被ります。そしていま、高くて頑丈な防潮堤が、海と、陸とを切り離すかのように、海岸沿いに張り巡らされようとしています。


 このままでは海に流れ込む伏流水が断たれ、海にとって大切な滋養の源である森とのつながりが細ってしまうと、WDSの人たちは真剣に憂慮しています。


 そうです。本日お話しするのは、防潮堤のことです。


 私の国、日本ではいま、巨大な津波に襲われた地方で、防潮堤を建てる計画が進んでいます。ところによって、48フィート以上(14.7メートル)という、とても高い防潮堤ができようとしています。5階建てのビルに相当する高さです。


 壁が覆う沿岸の長さを合計すると、ニューヨークとワシントンD.C.の直線距離より長い、230マイルに達します。税金から投じる国費は、80億ドルに上るといわれています。


 私は、これに、アクティビストとして反対を叫んでいるのではありません。何かの主義や、強い主張があって、反対しているのでもありません。


 もう決まったことなのだからと、一律には進めないでください、地域の特性に応じた、もう少し柔軟なやり方ができないでしょうかと、そう言っています。


 あの日、東日本を襲った巨大な地震は、大きな津波を起こして、たくさんの命を奪いました。亡くなった方の数は、今年の8月8日現在、1万5889人に達します。この中には、米国から来て、小学生たちに英語を教えていた、いわゆるJETの若者、2人の命も含まれています。いまだに行方がわからない人の数は、2609人を数えます。


 それは辛い、ほんとうに辛い体験でした。皆様がた米国や、世界中の方々が、あの時差し伸べてくださったご支援くらい、私たちにとって嬉しく、心を温めてくれたものはありませんでした。


 あの時私は、東京で、地下鉄に乗っていました。止まってしまった電車を下りて、家まで、かなりの道のりを歩いて帰りました。でも、それだけです。被害らしい被害など、ありませんでした。


 そんな私に、被災者の悲しみや、辛さはわかりません。わかると言ったら、それは不正直だと思います。ですからもう二度と再び、波に飲まれるような惨事を繰り返してはならないと、被災地住民が思われるそのお気持ちを、私たちは尊重すべきなのだと思います。それに対して、私たちは何ができるのか、考え続けていくことが大切なのだと思います。


 ですけれど、高い壁を建て、海岸線を覆い尽くす選択をすることは、未来の世代に対して、ほんとうの意味で、正しい責任を果たすことになるのでしょうか。


 防潮堤は、たとえどんなものでも、民主主義的手続きを経て、住民の代表たちが議会で承認しない限り、建ちません。


 そうなのだとしても、私達の民主主義は、十分に冷静な判断を保証する仕組みでしょうか。恐ろしい、千年に一度、あるかないかの自然災害が起きたあと、子どもたち、孫たちの世代のため何を本当に残してやるべきかを決めることは、私達の民主主義にとって、それほど容易なことではないのだと思います。


 民主主義的財政には、必ず事業の執行に期限があります。私の国の場合、自然災害に対する復旧工事は、ファストトラックで、できる仕組みになっています。それにも期限があって、2016年3月の末、ちょうど津波から5年経ったところで、その締め切りが来ることになっています。


 だから、やるとなったら、一刻も早く、工事にかからないといけないと、はやる気持ちが生まれます。そういう事情もあるのです。


 私が見る限り、防潮堤にはいくつかの深刻な問題があります。


 高い防潮堤があると、たしかに、安心だという心理を生むかもしれません。


 言い知れない不安を経験した人たちにとって、この安心という要素は、とても大切なものなのだろうと思います。


 半面、いつも海を見ることで、知らず知らず身につく海の表情を読み取る習慣は、人々の感覚を研ぎ澄ますうえで大切なのだという人がいます。


 海を見えなくしてしまう防潮堤は、皮肉なことに、むしろ住民に油断をもたせてしまうかもしれません。


 事実、今回の事例をみると、高い防潮堤があった地域の住民から、逃げ遅れて亡くなった人がたくさん出ています。


 そして津波に対するベストの対応は、マタイ福音書第24章が述べているように、「山に遁れよ。屋の上に居る者はその家の物を取り出さんとして下るな。畑にをる者は上衣を取らんとして還るな」なのです。


 海を見えなくすることは、危機に備える感覚を鈍らせてしまうのではないか。これが、問題の第一点目です。


 防潮堤は、コンクリートでできています。コンクリートの耐用年数は、多く見積もって60年です。


 ところが備える対象の津波は、何百年に一度という規模のものなのですから、ひ孫の、そのまたひ孫の世代まで、補修のため、おカネを注(つ)ぎ込み続けていかなくてはなりません。一度建てると、そういうことになります。負担するのは、地元の自治体です。


 そのうえ、今度の津波を経て、海岸部の住宅は、丘の上に移転することになりました。壁が守るはずの海沿いに、住民はあまりいなくなります。無人の土地を守る防潮堤は、誰が補修するのでしょうか。


 つまり、防潮堤のライフタイム・コストを、どう賄うのかという問題もあります。


 それからもちろん、海が見えなくなる高い壁で海岸を覆ってしまうことは、景観にとって大きなマイナスで、観光の振興にもよい影響を与えません。


 こうした、ためらい、逡巡が、少なくない人の胸にわだかまっています。


 いつしか、急いでつくろうとする人も、少し待ってほしいという人も、どちらも、どこまでも善意にもとづき、それぞれの立場で良かれと思って活動しているのに、両者の間に、もうひとつ、心の壁ができてしまいます。


 そういう事態になるくらい、悲しいことはありません。防潮堤という壁が、文字通り、人々を分かつものになってしまうなんて、思うにつけ、いてもたってもいられない気持ちになります。


 森と、海と、人と。それぞれが、それぞれを慈しみあって、豊かにしあっていく共存の道を、私は探っていきたいと思っています。


 海とは時として、恐ろしい津波を起こすのだとしても、森を海の恋人とし続けていくため、自然と人とが調和のなかに生きていくために、何がいい解決策なのか。考え続けていきたいと思っています。


 皆様の、お知恵をお貸しください。ありがとうございました。

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