どこもかしこも
キナ臭くなっちまって嫌になるねぃ。
のほほーんとしてたいのに
情報収集が趣味だから
ついついそーいった情報が目にとまる。
で、ブルーな気分になっちまうんだよなー。
こんな御時世になっちまったんだから
仕方ないとは思うんだけどさ。
なんつーのかね、
情報の共有が必ずしも幸福を齎す訳じゃねーんだよな。
価値観は人それぞれだし、置かれた環境によって様々な解釈を生む。
それが対立の原因になったりね。
『知らない事が幸せ』ってのは確かにあるんだろうね。
でも知っておかないと愚行を繰り返すってのもある。
コレに関しては過去を振り返って想像力を身に付けるって事が必要なんだと思う。
歴史なんてものは解釈のあり方で様々な答えが出てくる。
だから過去の出来事を時系列で並べて
『何でこーなったのか』って部分を想像するしかねーんだよな。
で、その想像の部分を如何に史料で裏付られるかってところで
整合性ってのを導き出す。
結局は信用に値する史料あさりになるんだけど
想像力が無ければ史料をあさっても、その価値を見出す事が難しい。
この辺、日本は史料に恵まれてる気がする。
んでもって、その史料ってのは事実を書き記してるとは限らない。
個人の主観だったり、情報操作の産物だったり。
客観的事実を記してるものがあればラッキー。
ま、その情報操作の結果、何かが起きてたりするんで
その辺のトコもある意味重要になってくるんだけどな。
近代以降、国家間の約定に関しては
ルールに則ったものだから信用出来るんだけど。
コノ情報操作っての古来から常に行われてきた訳で
それが混乱を齎したり、安定を齎したり、様々なカタチで影響を及ぼしてる。
その結果が現在でもあるしね。
情報操作=悪い事
という杓子定規な捉え方は
巡り巡って現在の否定にもなるし、
突き詰めてくと
個々の価値観の否定にもなる。
唯一絶対と云う価値観もあるけど、
それは時間軸を無視した価値観だと
オイラは思うんだよね。
つまりは『0』という価値。
オイラとしては『0』という価値観では自身が成り立たないと思うんで
なんだかんだで『混沌』ってのがベースのような気がするのよ。
『混沌』の中に『気まぐれ的な安定』があるんじゃねーのかな、と。
『混沌』と『安定』は逆説的な捉え方も出来るんで
個人々々がどう捉えるかってところじゃろうな。
あと、『真実』とか『真理』とかはどーでもいい。
時代を埋め尽くす『心理』のほうが興味深い。
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