幕末の副将軍? | つれづれなるまゝに

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狂ひたるモノ・侘助

『徳川斉昭』水戸の烈公。

正直あんまり好きじゃないw

江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜の実父。
藩政改革に成功した幕末期の名君の一人ではある。
藩校・弘道館を設立し広く人材を登用することに勤めた。藤田東湖・安島帯刀・会沢正志斎・武田耕雲斎など、斉昭擁立に加わった比較的軽輩の武士を用い藩政改革を実施した。
改革とはいえ、その実情は『吉宗回帰』の復古主義なので
自分としては微妙な印象。

ペリーの浦賀来航に際して、阿部正弘の要請により海防参与として幕政に関わる。
外圧に備え海防の充実を訴えたがあくまでも水戸学(国学)に準拠した理想論であり現実的な対応とは思えない政策を掲げ、阿部正弘の死去後は主張が更にエスカレートし、
後継の老中・首座の堀田正睦や井伊直弼ら『開国派』幕閣との軋轢を生む。

更に将軍継嗣問題で、徳川慶福を擁す井伊直弼に対して、
息子である一橋慶喜を擁して直弼と争った結果、
政治の表舞台から引き摺り下ろされた。(安政の大獄)

大御所政治でも狙ってたんだろうか。

尚、『天下の副将軍』と云うのは伊達政宗にあたえられた俗称であり、
徳川光圀が『天下の副将軍』を名乗ったという証は無い。
斉昭が自らの権勢を高める為に用いた『デマゴーグ』の類であると思われる。