第一次世界大戦で戦車が登場して以降、各国軍隊はさまざまな対抗手段を考案してきました。

歩兵が戦車を撃破するには、対戦車ライフル、対戦車地雷、携帯式の対戦車ロケット、対戦車ミサイル、対戦車砲が必要となります。今後は自爆型ドローンの進化によって対戦車戦の様相も変貌してゆくのでしょう(昔はSFの分野だった対人ミサイルが、このような形で現実化するとは)。

歩兵用の誘導兵器がなかった第二次世界大戦において、ソ連軍の用いた対戦車戦術が「地雷犬」。地雷探知犬ではなく、犬そのものを対戦車地雷として用いる悪名高い戦法です。

ソ連の地雷犬に関するドイツ側の記述は下記のとおり。

 

帝國ノ犬達-地雷犬
地雷犬から逃げ惑うドイツ軍戦車兵(旧ソ連のヒトコマ漫画より)

 

左どなりの第一○一軽師団も、五月十八日の夕方までにドネツ河畔に出た。湿度の高い三○度の暑さの中、部隊は大森林を抜け、巧みに偽装された敵陣を散開してすり抜け、広い地雷原を突破しなくてはならなかった。工兵の活躍は目覚しかった。第一○一軽師団の第二一三工兵大隊は、最初の日に各種地雷一七五○個を除去したのである。
前年の夏以来はじめて、また地雷犬が現れた。地雷を背に負ったシェパードやドーベルマンが……。
陣地に隠れたソ連兵が、前進するドイツ軍部隊にぞくぞくと犬をけしかける。
犬たちは凄惨な狩りで射殺されていった。しかし次から次へと大群が現れ、調教師のいいつけ通り、車輌や砲の下にもぐりこもうとする。うまくもぐりこんで突き出した接触棒が何かにあたれば、強力な爆薬が炸裂し、数メートル以内のすべてを犬ごと吹きとばしてしまうのだ。

 

パウル・カレル著 松谷健二訳『バルバロッサ作戦』より 

 

「戦車の下で餌を貰えるよう習慣づけた犬に爆薬と起爆装置をとりつけ、ドイツ軍戦車へ突入させる」という仕組みでしたが、しかし敵戦車に脅えた地雷犬たちは自軍陣地へ逃げ帰り、味方のソ連兵にじゃれついたと同時に起爆装置が作動した誤爆事故もあったそうです。

海外報道を介して日本陸軍もソ連対戦車自爆犬の詳細は把握しており、「携雷犬」として警戒を強めました。

 

帝國ノ犬達-地雷犬

 

戦時中の日本におけるソ連軍対戦車自爆犬の報道がこちら。ソ連の試みを「失敗」と断じながら「訓練次第では十分効力を發生する」と評価しています。満ソ国境紛争において、ソ連軍が地雷犬を用いることを警戒していたのでしょう。

 

いっぽう、発煙筒を咥えた軍犬を駈け回らせて煙幕を張る方法は満州事変前後から陸軍歩兵学校が研究しており、映画『北の健兵』においても煙幕展開犬が登場しています。

この映画は児童用の絵本でも取り上げられていますので、該当する場面をご紹介しましょう。

 

赤倉山麓の雪中演習にて、発煙筒で煙幕を展開する陸軍歩兵学校の軍犬(昭和18年)

 

帝國ノ犬達-北の健兵
一人の軍犬兵が、軍犬をつれて森の中へ進んでいつたかと思ふと、まもなく、その軍犬は白いけむりの出てゐる筒を口にくはへて、雪をおしわけるやうにして出てきました。

井口文秀『軍用犬(昭和19年)』より

 

その辺が混同されたのか、「日本軍も自爆犬を使った」という根強い噂があります。

我が国の対戦車自爆犬について調べると、軍用犬研究の中枢であった陸軍歩兵学校軍犬育成所と関東軍501部隊では記録が見つかりません。「味方戦車と軍犬の協同運用」は研究されているのですが「敵戦車へ犬で対抗する想定」は無かった様です。

それをもって「日本は自爆犬とは無縁だった」と断定するワケにはいきません。我が国にも、愛犬に自爆訓練を施す者が存在したのです。

 

日本の自爆犬は、戦車ではなく敵陣地を破壊するのが目的。いわば、ドイツ軍のリモコン式自走地雷「ゴリアテ」を退化させたようなシロモノでした。

ソ連軍が地雷犬を実戦投入したのは昭和16年ですが、日本で自爆犬の訓練法が考案されたのは昭和11年頃のこと。研究期間を含めるとソ連と同時、もしかしたら先行していたのかもしれません。

 

犬

昭和11年、前田氏が披露した自爆犬訓練に駆り出されるアデル號(前田氏は民間人で、アデルも民間のペットです)。本物のダイナマイトを使うと逮捕されるので、訓練では模擬爆弾として発煙筒を用いております。

 
日本の自爆犬訓練については、日中戦争前から記録が現れます。
そのきっかけとなったのが、第一次上海事変における爆弾三勇士の報道。鉄条網爆破に巻き込まれて戦死した兵士たちのニュースは、「不幸な誤爆事故」ではなく「自らを犠牲にした兵士の美談」として脚色されます。

こういう報道に感化されると、「お国の為に自分も何かしなければならない」などと謎の義務感に駆られる人が出るのがお約束。かといって最前線へ赴いたり安全な爆破装置を開発する能力はないので、目立ちやすいテーマで要らぬお世話を始めてしまうワケですね。

満州事変から親軍体制へ舵を切った日本犬界もそうでした。シェパード界は「愛犬をお国の役に立てよう」と軍犬の購買調達に応じたり、和犬愛好家は「日本犬を軍事利用しよう」と叫び、やがて自爆犬訓練を披露する連中も現れます。

 
今回の日支事變に際し、我が軍犬の目覺しき活躍が次から次へと報導されたり、或はニユース映畫として書面に表はれたりして、其の功績は實に涙ぐましいものがあります。
あの廣漠たる山野で、零下三十度と云ふ内地では想像もつかない酷寒と戰ひ、且亦砲煙彈雨の中を縦横無盡に或は傳令、或は警戒と與へられたる各自の任務を遂行して、多大の成果を納め、赫々たる武勲をたてゝ居る事は、誠に嬉しく感謝せざるを得ません。
 
現在第一線にては、この軍犬を重に傳令勤務に從事させてゐるのでありますが、もつと他に利用の方法がなからうか、と考へて思ひ付いたのが煙幕の構成と、爆破作業であります。
其の中の煙幕作業から筆を進めてみませう。
 
此の作業に就いては多年の懸案であり、幾回となく失敗に失敗を重ねましたが、今では大體に於て目的を達する事が出來たのであります。
ではどんな風にして行くかと云ふと、先づ第一に準備訓練として前進と方向變換を充分に教へ込み、如何なる場所にても命令に依り、直ちに之れに從ふ様、最も確實にしておくことが肝要です。
之れが此の作業の基礎でありますから、これが出來なければ何の役にもたゝないのです。
次は發煙の際シユウ〃と火を吹く音を發しますから、此の音に馴らすのです。
 
以上さへ出來る様になれば、それでよい譯ですが、何分軍隊にて使用して居る發煙筒は我々民間の手に這入らないので、それに依つて訓練する事は不可能です。
だから筆者は代用品を使用して行つて居ります。
これを行ふに二つの方法があつて、一つは口に銜へて行かしめ、他の一つは體に取付けて行かしむるのですが、口に銜へて行く事は確實性が少く、且火藥類の事ですから強度の熱を生じ、それが爲め犬に火傷を負はせる虞れがあるので、これは不可能です。
 
そこで第二法の體に取付ける様器具を作り、點火して前進命令を下すのですが、前にも述べた如く火を盛んに噴くので、發煙筒取付器具に充分注意せぬと犬を負傷させる事があり、此の點よく〃工風(くふう)して戴きたいと思ひます。
筆者の失敗を重ねたのも實はこの點です。これには随分と困らされたもので、それさへ具合よく工風すれば犬一頭にて相當廣範圍の場所を遮蔽下におく事が出來、亦必要に應じて方向變換を命ずれば良い譯です。
 
次は爆破作業でありますが、これも必ずしも人間が行はなければならん譯ではなく、犬で出來得るなら犬を使用した方が、あたら人材を失ふ必要がなくてよいでせう。
例へば鐡條網の爆破だとか、或はトーチカ内の爆破等、犬で充分出來得る仕事であると思ひます。
爆彈の模型を作り、之れを持たせて目的物或は目的地に前進させて、練習して居ますが、成績は良好です。尤も爆彈の實物を使用する事が出來ず、實際の訓練が出來ないのは遺憾です。
 
これの實施方法も二つの方法があつて、前にも述べた通り銜へて行く法と身に付けて行く法とであります。銜へて行はしめる法は、目的地に達すれば其の場に置いて歸來させますので、此の方法が完全に出來得れば、犬の損失は僅かで済みますが、それ丈け確實性が少いと云へます。
やはり身に付けて共に爆死さす法が、可愛想ではありますが、効果的であります。
何れにせよ導火線に點火してから、何分後に於て爆發するか其の研究が必要で、それに依つて爆破の効果が決せられるのです。
 
例へば百米先に破壊すべき鐡條網があるとすれば、百米走るに其の所要時間はどれだけであるかを充分に測定して、それに應じて導火線の長短を定め、百米の距離を犬が三分で走るとすれば、導火線も點火してから三分後に爆發する様仕掛けておくので、トーチカ等の場合なればそのまゝ内部に向つて突入させればよい譯ですが、此の作業は餘程確實に前進の出來得る犬でないと目的は達せられず、犬と爆彈のみを無意味に失ふばかりとなりますから、確實の上にも確實に教へておかなければなりません。
 
以上の作業は決して空想や理想でなく、將來大いに研究さるべき事柄であらうと思ひます。
筆者の經驗では充分犬に課せられる仕事であると信じます。現在では基本訓練に重きをおき、基本訓練さへ行へば、それで事足りると考へて居られる様でありますが、それでは實際の場合、何の役にも立たゝないのです。
基本訓練は必要ですが、更に犬の性能に依り、其の犬の特性をどこまでも伸ばして行くのが大切で、何も彼も課す事は無理な要求です。
 
重ねて云ひますが、基本訓練に滿足せず、高等訓練にもつと着眼して眞の使役犬を作らねばなりません。基本訓練に到達する下準備であつて、基本訓練が終つたからとて、それで使役犬とは名付けられません。
 
山本健吉「軍用犬の新作業・煙幕と爆破(昭和13年)」より
 
軍需皮革調達を急ぐ商工省が野犬革(三味線用)を国家の統制下に置き、戦時食糧難の到来を予測した政治家や農務省が「役立たずのペットは毛皮にしろ」と叫び始めるのは昭和15年前後のこと。
それら軍部や官僚よりも早く、民間人は犬をイケニエに捧げようと努力していました。まさに軍民一体による聖戦遂行です。
 
特攻作戦は戦況悪化により正当化されたようなイメージだったのですが、「やはり身に付けて共に爆死さす法が、可愛想ではありますが、効果的であります」などと言ってのける以上、緒戦の段階で命は鴻毛より軽かったんですねえ。

「そんなに自爆したければ、犬にやらせずオノレで自爆しろ」と言いたくなります。しかし、これから数年後にはパイロットもろとも敵艦へ激突する特攻作戦が始動。地上でも刺突地雷を抱えた特攻兵が米軍の戦車へ突入していきました。

その惨劇を知っている以上、自爆犬の話を「それ見た事か」と嘲笑う気持ちにもなれません。人の命も動物の命も軽んじるのが戦争で、人間の正体なのです。