徳島出身ということで土佐犬好きだったり、南樺太旅行で複数タイプのカラフト犬(※現代では単一品種と誤解されていますが、本来は多種多様なサハリン在来犬の総称です)が存在する目撃談を記したり、日本犬界史に少なからぬ貢献をしている作家の生田花世。

日中戦争勃発の翌年、彼女が記した犬のお話を。

 

 

大きい森の傍に、たゞ一本たつ木が印象深いやうに、「支那事變」といふ驚天動地の大事件の附属事件のその又附属の小さい事。一匹の犬―、スコツチ・テリアの運命が氣にかかつてゐる。

そのスコツチ・テリアは徳安に住んでゐるイギリス宣教師の寵犬で、九月八日の東京朝日の夕刊によると、ルーター通信員が、日本軍進撃前の徳安に行つて見たら、宣教師一家は、危險なのでどこかへ避難して了ひ、犬小屋にたゞ一匹うづくまつてゐたといふのだ。

この殘された犬はどうしてゐるであらう。餓えて、淋しくて、この可憐な小動物は、さぞないてゐるだらうとおもふと、その吠聲がきこえるやうな氣さへする。

一日も早く、日本軍が徳安に入城し、このスコツチ・テリヤが救はれますやうにと私はこの二三日祈つてやつてゐる。

南京陥落の際にも、大變良い小犬を路傍で一兵卒がひろひ、これを部隊長に見せ、隊の犬として、馬上にかかへて、進撃したといふニユースを見た。この犬は多分、支那避難民の殘した犬であつたらうと思ふ(※実際、南京占領時に拾った小型犬「興亜」を松井石根司令官が日本へ連れ帰っています)。

徳安のスコツチ・テリアは皇軍とともに、漢口入城といふ譯には行かないだらうが、飢え死なぬうちに、皇軍の救ひの手が、やさしく、この犬の上にさしのべられるやうにと、どういふわけかこの犬に、私の空想の同情がかかる。

 

ところが、こんな氣持に包まれるには、その譯が多少あるのだ。

私は、かつてアンドレエフの「殘された犬(細木愛二譯)といふ犬の小説を讀んだ。この作は「クサカ」といふ題で、古い頃、故上田敏氏も譯されたことのある作だ。

犬の小説としては、有名な傑作であるが、「その犬は誰の所有でもなかつた。自分の名前も持つてゐなかつた」と書き出されてゐるこの犬が、さんざん辛い目にあつた末、レルヤといふ少女に可愛がられる事になり、やつと幸福に辿りついたが、其後レルヤの家がよそへ行くので殘されて了ひ、夜の空家の中の暗いベランダの上で、雨の中で、犬は「訴へるやうに高く吠えた……」。

訴へるやうに、支那の、徳安の、スコツチ・テリアも高く吠えてゐる事はたしかだ。

かつて讀んだ藝術作品「殘された犬」の影響から、徳安で殘された犬をこんなにも深く同情する心を私が持つ。この一例からも、藝術作品獨特の力が立證される。

 

今度、日本の文藝作家二十何人が、漢口進撃に從軍した。

この二十何人の中の一人でもが戰場に殘された、又戰場で働く犬、戰死の軍用犬などについて、佳作をものしてくれたらどんなにいいだらうと、犬のためにも人間のためにも希望と期待を寄せたい私だ。

―軍馬については、新進現地作家の「麥と兵隊」の筆者、火野葦平氏が、この間、ラヂオで戰場小品として放送されたが……。

 

『愛犬随筆・戰爭と犬(昭和13年)』より