生年月日 昭和15年

犬種

性別

地域 東京府

飼主 三郎君

 

実在の犬ではなく、戦時体制下での勤労精神を促すためのキャラクターです。

同年夏、日中戦争の泥沼化による食糧不足を予測した農林省は駄犬駆逐論を提唱。軍需物資不足を理由とした商工省の野犬皮革統制より一歩踏み込み、「総力戦下において犬に回す食料はない。無駄飯を食むペットは毛皮にしてしまえ」という過激かつ冷徹な主張でした。

中央省庁の施策と歩調を合わせるように、太平洋戦争突入以降は無邪気な愛犬物語も姿を消していきます。

 

 

三郎君は今年の春郷里の高等小學校を卒業すると、直ぐ東京へ出て、或軍需工場の少年工として働くことになつたのです。自分で働いてお給金を取るやうになつた三郎君は實に愉快でした。

今まで手にしたことのない程の澤山なお金でしたので、郷里の親へ送金したり、天引貯金をしたりしました。

一生懸命働いて、今に立派なエンヂニヤーにならうと決心しました。

淋しい田舎で育つた三郎君は、始めのうちは東京の賑やかさにビツクリしましたが、次第に賑やかな生活にも馴れてしまひました。

大勢の友達も出來て、工場の歸りには皆で遊んだり、休日には銀座や淺草等へも連れて行つて貰ふやうになりました。

友達の内にはタバコを吸ふ少年もゐて、三郎君に呉れたりしました。

タバコをイタヅラすることや銀座や淺草で遊ぶことを覺えた三郎君は、眞面白な少年工を離れて、惡い友達の仲間へ入るやうになつて、澤山なお給金も足りない位に遊びに使つたりして、今まで貯めた貯金も次第に出して使ふやうになりました。

或晩遅くなつて友達と分れた三郎君は、家の近くで一匹の小さな野良犬を拾ひました。チヨロチヨロとヂヤレつく姿が、トテモ可愛かつたので三郎君は、その仔犬を飼ふことにしました。

朝出かける時も夕方歸つて來る時も、その仔犬はシツポを振つて三郎君にヂヤレつきました。三郎君はスツカリその仔犬が好きになつてしまひ「ハチ」と名前を付けて可愛がるやうになりました。

ハチを飼ふやうになつてからは、三郎君は歸りに友達から誘はれても、ハチの事が心配になつて直ぐ家へ歸るやうになりました。休日でもハチと遊ぶのが面白くて、銀座や淺草のこと等はスツカリ忘れてしまひました。

惡い友達から離れた三郎君は、又元の眞面白な少年工に還りました。ですから二三日まえに工場から模範工として表彰されました。

今日の休日もキツト三郎君はハチと近所の公園で愉快に遊んでゐることでせう。

 

ヤマダ・マサボウ『銃後物語・ハチと少年工(昭和15年)』より