第1回:戦争中における犬の毛皮供出に関する資料 | 帝國ノ犬達
2010-01-30 21:03:05

第1回:戦争中における犬の毛皮供出に関する資料

テーマ:銃後の犬達
先の戦争では、数多くの犬が犠牲となりました。
中でもよく話題に上るのが「犬の戦時供出」。その割に、漠然としたイメージや感情論だけで語られがちなテーマでもあります。
下の画像を見て「ペット毛皮供出の証拠だ!」と勘違いする人もいれば、「軍用犬の調達記録だな」と判別できる人もいるでしょう。戦時下の日本犬界は、その状況ゆえにナカナカ複雑でした。

「戦地の犬」は別途取り上げるとして、今回から「銃後の犬」について解説します。
※この記事では、昭和6年の満州事変から昭和20年の敗戦に至る約15年を対象期間としました。

帝國ノ犬達-軍犬購買
昭和16年に栃木県で開催された軍犬購買会の案内状。 この調達システムは、犬を売る側の飼主、買う側の陸軍、仲介窓口の社団法人帝国軍用犬協会で成り立っていました。

複雑であるがゆえに、戦時犬界のハナシも長くなります。
「地元の犬界史も知らない奴が偉そうに国家と犬を論じるな」という訳で、本来ならば「47都道府県別の地域犬界史」を編纂する必要があるのでしょう。
しかしそんなのはムリなので、ここでは「1.全体の概略」「2.戦時のペット界」「3.戦時の飼料事情」「4.皮革と国防」「5.戦時の犬皮統制」「6.空襲下の動物」「7.本土決戦と義勇軍犬隊」「8.軍犬の出征」「9.帰国した軍犬」「10.大陸産犬皮」「11.戦争と猟犬」「12.戦時の犬肉食」「13.ペットの毛皮献納」「14.生き延びたペット」に纏めてみました。
※混乱を避けるため、外地と満洲については「統治下の犬界史 」「満洲国の犬界史 」で補足説明します。

第一回目はいきなり総集編ですが、その前に。

最近、この記事から都合の良い部分だけ引用し(そこは問題ないのですが)、意見が違う相手をバカだのサヨクだのと罵倒している人を見かけました。戦争の犠牲となった犬達の話を、くだらない思想ごっこの道具扱いする人がいるんですねえ。

銃後犬界の記録は、日本畜犬史の一頁として扱われるもの。右左のケンカ道具や終戦記念日のネタではありません。

軍需省
犬の献納運動を認可した軍需省(旧商工省)は、生活物資の軍需化も指導していました。戦争末期はあらゆる物資が軍事優先となっていたのです。
……小松崎画伯がこんなイラストを描いていたとは(昭和19年の広告より)

【戦時犬界に関する前提】

銃後の犬については、幾つもの作品で取り上げられてきました。
ペットの毛皮供出を描いた「マヤの一生」や「ムツとわたし」。
軍用犬の出征を描いた「ボクちゃんが泣いた日」や「犬の消えた日」。

勿論、それらは史実を脚色した物語に過ぎません。しかし中には、「カワイソウ!許せない!」と激昂している読者も見かけます。
だからといって自力で一次史料を発掘するでもなく、お手軽検索でヒットした情報にリンクを貼って、それっぽい批評を呟いたらオシマイ。
まあ、その程度の怒りなのでしょう。

戦時中は日本畜犬史上で最悪の時代でした。
軍部の暴走による国力の減退で、役人は犬皮の統制を目論み、政治家やマスコミは犬を敵視する世論を醸成し、扇動された大衆は隣近所の愛犬家を非国民扱いし、ペット供出運動の悪夢へと至りました。
まさに、日本が一丸となって犬を殺戮したのです。

同時に、戦時中は日本犬界が大きく発展した時代でもあります。
事実、戦時の15年間に亘って大量のシェパードを軍部へ供給し続けた、巨大な民間犬界が存在していました。その資源母体を確立する「軍犬報国運動」によって、高度な飼育訓育知識が民間ペット界にも普及しました。
本土空襲に晒された戦争末期に至っても「毛皮供出の犠牲となった多数のペット」が飼育されており、それらの飼主たちを支えるペット業界や獣医学界や畜犬行政も(辛うじて)維持されていた訳です。

犬の銃後史はこの両面を基本とすべきなのですが、「戦時」への先入観からか後半部分は無視されがちですね。

例えば「戦時中に飼育が許されたのはシェパードだけ」という通説も、実は間違いです。
それは昭和19年~20年8月に限った話でしょう?「一部地域では~」「戦争末期に~」ならば納得しますが、時系列を無視して「戦時中」で一括りにするのは乱暴過ぎます。
当時の記録を見ますと、日中戦争(昭和12年)が始まっても内地ペット業界は活況を呈していました。太平洋戦争(昭和16年)突入後も、ペット雑誌にはマルチーズやポメラニアンの販売広告が載っていますよ。
それこそ極端な例だと、日本犬柴犬研究所や日本畜犬合資會社は敗戦の半年前までペットを販売していました。

大まかな流れだと、戦時ペット界の隆盛期は昭和6年から昭和13年あたりまで。昭和15年前後から衰退し始め、昭和19年に崩壊しました。
「ある日突然」ではなく、15年をかけて破滅へ追い込まれたのです。

それでも、戦時下の日本には多数のペットが残存していました。用具や飼料の不足、周囲の白眼視に苦しみながら、愛犬家は犬を飼い続けたのです。

犬
戦争後期、昭和18年のペットショップ広告。海外からの畜犬輸入ルートが途絶した昭和15年以降も、国内繁殖された多様な品種が流通していました。いっぽう、同時期から「畜犬撲滅」が公然と唱えられるようになります。
(https://ameblo.jp/wa500/entry-12281456390.html ※画像のシャルクの仔が戦時を生き延びたことは、戦後のペット雑誌で確認できます)

【混乱の原因】

明治から昭和にかけて隆盛を誇った近代日本犬界は、破局へ向かう戦争末期に崩壊。やがて、戦争の忌むべき記憶と共に忘れ去られました。
現代に残されたのは、「ペット文化は戦後にアメリカから持ち込まれた」などと真顔で語る、忘却と思考停止の畜犬史です。

それを思い出そうにも、既に多くの手がかりが失われてしまいました。
当時の状況を丁寧に描いた「犬の消えた日」や「ムツとわたし」を読んだところで、そこに全国銃後犬界の15年間が書かれている訳ではありません。これらの作品を読んだ上でも、「軍用犬の出征」と「ペットの毛皮供出」すら区別できない人はたくさんいます。
挙句、「戦争を論じる本質において、そんな些末事は無視してよい」という意見も出てくる始末。話が噛み合わない筈です。

「犬をネタにした戦争論」と、「犬の日本史における戦時の解説」は、題目は同じでもお互いの趣旨が違うんですよね。ここでは「犬の日本史」としての銃後犬界を取り上げているので、「戦争の本質論」とやらは他所でやってください。
どうしてもイヌの話をしたいなら、妄想とデマと事実誤認を検証した後でどうぞ。これまでの犬の戦時論は、その順序が逆でした。

小説「犬の消えた日」を例に挙げましょう。

あの作品では、「日本軍によるシェパードの調達(アルフとフリッツの出征)」「警察によるペットの取締り(東亜とサチマルの殺処分)」「米軍によるペットの死(空襲で死んだタマ)」という構図が、「飼主や担当者の視点(さよ子の悲しみや警官多岐の葛藤)」を通して、読みながら理解できる筋書となっています。

こうして歴史を掘り下げる手掛かりが提示されているのに、大抵の読者は「カワイソウ」という感想文で立止るか、イヌの話そっちのけで大仰な戦争論へ走り幅跳びしてしまうんですよ。
なので、ちょっとだけ掘り下げてみましょう(前置きが長くてスミマセンねえ)。

帝國ノ犬達-犬
戦時下においても、「ペットと暮らす日常」がありました。昭和13年

日本軍が犬皮を使い始めたのは明治~大正時代のこと。但し、軍部は「犬皮の生産者」ではなく「消費者」です。
地域行政としての野犬駆除・廃犬買上、皮革業界の製革・流通・小売、省庁の配給への流れの先に、軍隊があるという位置づけですね。

一億玉砕へ突き進む軍部に引きずられ、このシステムが戦時ペット供出に流用されました。
軍需原皮を賄うために商工省や農林省が犬皮を統制し、その指導に従った行政機関が地域のペットを殺処分し、皮革業界が製革・集荷し、皮革統制会社が配給し、日本軍が使用した訳です。
人間社会は自給自足ではなく、分業で成り立っていますから。

しかし、数ある犬の供出論は「社会的分業」に触れようとしません。両端の飼育者と軍隊だけを登場させて、中間部分がすっぽりと抜け落ちているのです。
遠洋で獲れた魚が食卓に並ぶまでを説明するには、漁師さんや魚市場や魚屋さんを登場させますよね?
犬の戦時供出も、「調達・加工・流通・配給」の流れに沿って解説すべきでした。

それらを怠った結果が、現在の惨状です。
右も左も己に都合のよい物語を拵え、犬皮の話をしながら皮革業界を無視し、辻褄が合わない部分は妄想と感情論で埋め合わせ、反論されたら「あなたは戦時を肯定するのか」「お前はそれでも日本人か」などと論点ずらしに走り、果ては「犬の戦時供出は無かった」、「日本軍が市民のペットを射殺して回った」「在日外国人がやったこと」などと愚にもつかぬデマまで垂れ流す。

そういうのは、もう止めにしましょう。

近世の畜犬史が幕末の開国とカメの時代への移行で終わるならば
近代の畜犬史を締め括るのは、戦時犬界の崩壊と戦後犬界への移行です。
その大事な時代を取り上げるアナタの目的は、ご大層な戦争論なのですか?自国の畜犬史を知りたいんじゃないの?

ここから先は後者へ向けて書きます。
犬の戦時史を調べる場合、先入観を排し、種々雑多な資料に目を通し、「この時代の犬界はこのような状況だった」というイメージを掴んでください。
そこには記録者の主観や思い出補正が混じることを前提に(犬は文字を書き残せませんし)、話半分くらいで捉えるのがよいでしょう。
この準備作業を飛ばすと、前者がやらかす捏造や脚色を見抜けなくなります。

また、一冊の本や、こんなブログ“だけ”を振りかざす論者にも用心してください。
たった一つの書籍やサイトで、47都道府県および南樺太、台湾、朝鮮、関東州、南洋諸島に広がっていた近代日本犬界を網羅するのは不可能。更には「日本犬界の双生児」たる満洲国犬界史も加わるのです。

彼らや私が語っているのは、巨大な日本犬界の断片に過ぎません。
騙されないでね。

帝國ノ犬達-演習
国内演習に参加した歩兵第34聯隊の軍犬班。これら日本軍犬の多くは、民間のペットを購入した個体でした。

【軍用犬の出征とペットの毛皮供出】

話の前提として、「犬の戦時供出」を「軍用犬の調達」と「ペットの毛皮供出」に区別します。
まずは「軍用犬の調達」から。

帝國ノ犬達-購買
陸軍からKVへ向けた軍犬購買会通知(海軍の場合は日本シェパード犬協会が窓口となります)。
昭和18年9月度

日本の陸軍は大正8年から、海軍は昭和7年から軍犬(「軍所管犬」の略称)の配備を開始しました。しかし、軍部には大量の犬を繁殖育成する予算や人手はありません。
その為、陸軍省馬政課では民間人が訓育した軍用犬(「軍用適種犬」の略称。シェパード、ドーベルマン、エアデールの三犬種)を購入する事で大量調達を可能としていたのです。軍犬の調達は、供給源たる巨大な民間ペット界を基礎に成り立っていました。

因みに、調達数維持の為にも「軍と飼育者による売買契約」が原則。強奪なんかしていたら誰もシェパードを飼わなくなって、日本軍は資源母体を失うだけですから。
飼主と軍部の仲介役を担ったのが社団法人帝国軍用犬協会(KV)です。その登録犬数は、活動中の昭和8~19年の間で計6万8千頭に達したとか。
これだけ多くの飼い主が、年会費を払ってまでKVへ加入し続けた理由。それは、愛犬を「大手の就職先」である軍部へ売却する為でした(良い・悪いは置いといて、そのような時代だったのです)。

他には篤志家から軍への寄付行為もあり、こちらの犬は「寄贈軍犬」と呼ばれました。基本訓練済みの「購買軍犬」と違って未訓練の犬も混じっていたため、配属先の担当兵を困らせたそうです。

帝國ノ犬達-軍犬購買
KVの仲介で、日本軍と飼主が交わした軍犬購買文書。昭和16年

もうひとつが「ペットの毛皮供出」。
これは、国の指導をうけて地方公共団体が実施した飼い犬の強奪でした。きちんと飼育登録をし、畜犬税を納め、狂犬病豫防注射を済ませた個人所有のペットを「お国のため毛皮にしろ」と強要されたのです。
犬皮を国の統制下に置いた理由は、軍需向け牛・馬・羊・鯨皮の供給不足。物資不足が深刻化した昭和19年、厚生省と軍需省(旧商工省)の通達によって、全国規模で多数のペットが殺処分されました。

帝國ノ犬達-犬の特攻隊
行政機関(警察署)から地域住民へ通達されたペット毛皮供出文書

三番目の犬の供出として、「郷土防衛の義勇軍犬隊」も存在しました。これが「軍用犬の出征」と「ペットの毛皮供出」を混同させてしまった一因でもあります。
上の画像にある「犬の特別攻撃隊を作って敵に体當りさせて」という一文は、毛皮供出を促進させるためのアオリ文句。これとは別に編成された「本物の犬の特攻隊」こそが国防犬隊です。

もともとKV会員は、昭和11年頃からボランティア組織の「義勇軍犬隊」を各地で結成。防空演習での伝令・救護支援に愛犬を参加させていました。
昭和19年末、これを本土決戦用の準軍事組織として再編したのが「国防犬隊」。日本軍の指揮下で米軍上陸を迎え撃つ郷土防衛隊として、民間の飼主とペットまで動員されたのです(建前上、加入脱退は任意)。

北陸や九州では実際に国防犬隊が編成されたものの、戦争末期の混乱で全容は判明していません。

帝國ノ犬達-国防犬隊
幻に終わった国防犬隊に関する記録も、僅かながら残されています。

帝国軍用犬協会以外で、上記に関わった公的機関は下記の通り
商工省(後の軍需省) 昭和13年に犬皮を統制対象とし、昭和19年にはペット供出を認可。
厚生省 昭和19年、軍需省と共にペットの毛皮供出を認可。
農林省 昭和16年、畜産課が野犬毛皮の統制に着手。
陸軍省 兵務局馬政課が軍用犬の宣伝と調達を主導。
地方行政機関 畜犬取締の一環として府縣警察部がペット供出を担当(内務省の関与は不明)。
あと、上の諸施策を大衆に浸透させる役はマスコミが担いました。

これらの区別すら出来ず、調べようともしない者達が、噂や憶測を元に「犬の供出」について声高に論じ合う。日本の畜犬史にとって、大変残念かつトンチンカンな状況がまかり通っています。

当時の資料から、犬毛供出のアレコレを取り上げてみましょう。

商工省と農林省による犬皮統制 ―駆除野犬の「リサイクル」―
【平時】府県警察部(野犬駆除)→皮革業界→民需品
【戦時】商工省→地方長官→府県警察部(野犬駆除)→皮革業界→統制機関→軍部

帝國ノ犬達-畜犬取締
明治初期における畜犬取締の一例より、京都府令書・明治8年9月番外第32號。飼主のマナー違反に対抗する畜犬行政は、やがて狂犬病対策と統合されました。

犬の戦時論で目立つのが、「戦時体制下で狂犬病対策の野犬駆除が始まった」という事実誤認。
ご覧の通り、行政当局は明治初期から畜犬取締に着手しました。それが戦時中も継続されただけのハナシです。
ああやって「戦時中の記録」ばかり血眼で漁っていると、明治から続く自国の狂犬病史すら見えなくなるのでしょう。怖いですねえ。

もともと、各地域の警察署は飼育届によって地域のペットを登録管理し、そこから漏れた「野犬」を処分していました(戦後は保健所へ業務を移管)。
行政が介入に至ったのは、飼主のマナー違反による自業自得です。放し飼いや捨て犬が横行していた当時、全国津々浦々で野犬群が徘徊していました。太宰治の「畜犬談」にも、その様子がユーモラスに描かれていますね。
ユーモラスならいいのですが、野犬はゴミを漁り、人畜を襲う厄介者でした。
更に、犬は狂犬病を媒介します。その感染を広めていたのも野犬だったのです。

狂犬病
戦前の警視庁狂犬病予防ポスター(昭和9年度)
行政・獣医界の長きに亘る狂犬病との闘いは、多大な犠牲を払いつつ撲滅まであと一歩に迫ります。しかし戦時下への突入で、状況は振り出しに戻りました。

まずは、資源としての犬の利用について。

日本で犬肉や犬皮を利用し始めたのは縄文~弥生時代あたりからで、後の仏教伝来や生類憐令などにも関わらず全国各地で続きました。何しろ、人間の周囲をうろついている犬は猪や鹿より入手しやすい食用獣でしたから。
明治になると、それまで高嶺の花だった洋犬が一般庶民にも飼えるペットになります。同時に犬肉食は忌み嫌われ、急速に廃れていきました。
その史実に触れると、ナゼか怒り出す人もいます。いちいち憤慨せずとも「現代の日本人は犬を食べない」で終わる話なんですけどね。
守るべき和食文化ですらありませんし。

その一方で行政による野犬駆除は規模を拡大。こうして殺処分された野犬の遺骸は、「食用」ではなく「資源」として再利用されました。

畜犬行政が確立されたのは、新時代の体制へ移行しつつあった明治初期のことです。
当時、行政がマナー遵守を訴えても、飼主たちはワガママ勝手に振舞っていました。地域住民に咬傷や狂犬病の被害が出始めると、行政側は畜犬取締規則や畜犬税による飼育頭数の抑制、野犬駆除(警察から駆除業者へ委託)などの施策で対抗。
殺処分された野犬の遺骸は化成所へ送られ、肉は肥料に、皮は三味線の素材に加工されていました。

統制
商工省の統制下による革靴用牛皮の事変後取引系統図。日本皮革統制株式会社を介した配給となっています。
京都府『主要商品ノ配給機構』より 昭和16年

日中戦争が激化した昭和13年、商工省は「皮革配給統制規則」を制定。統制対象は豚皮や犬皮へ及びました。
翌年3月、皮革の卸売業者と小売業者で成る「日本皮革統制株式會社」が設立されます。生産された原皮の多くは同社へ集荷され、商工省の監督下で需要者への配給に廻されるようになりました。
昭和16年、農林省畜産課も「都市衛生と皮革増産」を理由に野犬毛皮と鹿皮の統制を全国に拡大します。
これら犬皮の統制システムが、牛馬皮と別途に確立されたかどうかは不明。
※なお、流通ルートが違う羊毛皮は「日本羊革統制株式會社」が取扱っています。

野犬毛皮だけでは足りず、やがてペットの毛皮も狙われました。
これが、悪名高き犬の献納運動です。

行政機関によるペット毛皮供出 ―犬猫献納運動―
【通達】軍需省→地方長官→府県警察部→飼主
【供出】飼主→府県警察部→皮革業界→統制機関→軍部

帝國ノ犬達-犬猫献納
日向日日新聞より 昭和20年

戦争が泥沼状態へ陥る中で、皮革の供給量は減り続けました。
家畜の減少、畜産・皮革関係者の出征、陸軍と海軍による軍需原皮の奪い合い、そして原皮の公定買取価格が安過ぎて、高値で売買できる闇市場へ流れてしまったのが原因です。
陸軍当局との皮革価格改定交渉、皮革統制会の改組も効を奏さず、これは敗戦まで解決されていません。

やがて、商工省の皮革統制に便乗した国会議員や農林省からも「この非常時、ペットも毛皮として供出すべき」という声が上がります。
昭和14年の節米運動を機に、マスコミも「畜犬撲滅」を叫び始めました。扇動された大衆の鬱憤は、「無駄飯を食む駄犬」へ向けられます。

一部の市町村役場がペット供出に踏み切ったのは、太平洋戦争が始まった昭和16年以降と推測されます。畜犬団体が次々と活動休止する時期と重なり、愛犬家に組織的抵抗の術はありませんでした。

戦況が悪化した昭和19年末、軍需省(旧商工省)化学局長と厚生省衛生局長は「軍用犬、警察犬、天然記念物の指定をうけたものおよび猟犬(登録したものに限る)を除く一切の畜犬は、あげて献納もしくは供出させること」を全ての地方長官(都府県知事)へ通牒。
両省の通達に従った全国の行政機関では、12月20日から翌年3月にかけてペット供出を実施しました。

犬税未納の飼犬(野犬扱いとなります)が、警察の取締で殺処分される事は昔からありました。狂犬病流行の際、感染拡大阻止のため地域のペットを殲滅した事も度々ありました。
法令違反や防疫措置として、仕方なかったのでしょう。
しかし、全国規模で個人所有のペットを殺戮した献納運動はハナシが別です。戦時下における集団ヒステリーとしか表現できない、「犬のジェノサイド」でした。

「犬の供出は無かった。その証拠に日本犬が生き残っているではないか!」などという主張もありますが、上記のとおり天然記念物指定の日本犬は供出対象外。生き残らせる為に関係者がどれだけ苦労したのか、日本犬の歴史くらい調べてください。
また、「日本軍がペットを駆除した」という説は、おそらく軍需省と陸軍省を混同したのでしょう。

語るに値しない「無かった論」はともかく、「軍部犯行論」は間違いではありません。戦線を拡大した挙句、毛皮が足りないもっと寄越せと騒いでいた張本人ですし。
事実、軍需省のペット献納とは別に、陸軍省の指導による犬毛蒐集もおこなわれていました。

陸軍省による犬毛利用―脱毛蒐集運動―
【通達・供出】製絨廠←陸軍省⇔KV・JSV(集荷)⇔KV・JSV会員(供出)

犬
「本協會」とは帝国軍用犬協会のことです。昭和16年

この画像は、陸軍の軍馬・軍鳩・軍犬業務を管轄していた陸軍省兵務局馬政課(犬政課や鳩政課は存在しないので馬政課が兼務)による「犬毛蒐集運動」の依頼文書。
軍部が関与した動かぬ証拠、馬政課發第214號です。

さて。
文中に「脱毛蒐集の依頼」とある通り、これは「抜け毛」を集める活動でした。季節の変り目に発生する大量の換毛、アレの収集・資源化を組織的に試みたのです。
要請対象も陸軍絡みで、帝国軍用犬協会と日本シェパード犬協会に限定されたもの。勿論、双方とも軍用犬種の登録団体ですから、その会員が所有する貴重なシェパードを殺して皮を剥いだりはしません。

陸軍省が集めた抜け毛は、四日市の陸軍製絨廠へ送られて研究材料となりました。何かしらの成果があったらしく、昭和19年には軍所管の軍馬、軍犬、牛などの脱毛収集が国内各部隊へ通達されています。

確かに軍部の直接関与はありました。
ただし、犬猫を殺戮した商工省のペット献納運動と、シェパードの抜け毛を集めた陸軍省の犬毛蒐集運動は区別してください(どちらの犬毛とも軍部が消費したんですけどね)。

以上は内地における状況ですが、外地や満洲から持ち込まれた犬皮も存在します。

大陸産犬皮 ―犬皮の輸入・移入―

犬
平時における朝鮮産犬皮利用状況。
陸軍被服本廠『犬皮の利用價値に就て』より 昭和9年

満州国において、狗皮は重要な輸出産品でした。欧米では、満洲産犬皮を安価な代用皮革(要するに偽キツネ毛皮)として大量輸入していたのです。日本向けも同じく、輸入の過程で相当量が狐に化けていたとか。
安価な犬皮を高級キツネ毛皮として売り捌けば大儲けですからね。裏事情を知らない御婦人がたは、犬毛皮のコートで着飾っていた訳です。

朝鮮半島では事情が異なり、日本向け犬皮の多くは軍需用でした。そして昭和18年、朝鮮総督府は「外貨獲得手段」として大規模な犬皮資源化計画に着手。犬皮の移入(当時は日本統治下だったので「輸入」ではありません)も、朝鮮原皮株式會社などの国策会社へ組込まれたのかもしれません。

帝國ノ犬達-犬毛皮
戦時に朝鮮総督府が収集した犬皮サンプル一覧(着色イラスト)。併せて珍島犬の保護状況も調査されています。昭和18年

次回より、このような事例を取り上げていきましょう。
日本犬界が壊滅する中、戦時を生き延びたペットたちの記録も残っています。繰り返し書きますが、ここに掲載したのはごく一部の事例に過ぎません。
「銃後の畜犬史」は、あまりにも複雑なのです。

(第二部へ続く)