レースアナウンサーMCワカ&ワカ隊長として伝えたいこと(改) | MCワカのしれっと徒然。

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2022年4月から1年間の海外移住なう

レースアナウンサーで、子育て支援基地隊長の

若松泰恵です。

2000年にスポーツレポーターになりたい、と

夢見て、HPを立ち上げたところから始まった

私のキャリアも、気がつけば20年という年月が

流れました。
「レースアナウンサー」とは、サーキットで

車やオートバイのレースの実況をしたり、

モータースポーツイベントの司会をする者の

ことです。
女性は少ない現場ですが、周りの環境に恵まれ

多くの経験をさせていただいております。

伝える仕事に興味があり、ジャーナリストや

ライターへの憧れを持っていた私。
そんな中で、こどもの頃から心惹かれて、

ハマってきたのが「スポーツ観戦」でした。
自ら身体を動かすのではなく、見る・応援する

ことに強い楽しみを感じて、野球・サッカー、

バスケ・バレー・ラグビーetc.さまざな観戦に

足を運びました。
このままスポーツ観戦好きを仕事に出来たら

最高!という安易な気持ちから飛び込んだのが

「モータースポーツ」の世界。


いまだにそうなのですが、サーキットに行くと

テンションもあがるし、かっこいい車、速い

マシンを見るのが大好きなんです。
コネも何もなく、情熱と興味だけで名刺を配り

自らを売り込み続ける地道な営業活動をして、

いただいたご縁を少しづつ撚り合わせるように

つないで、気が付けば5年、10年・・・


35歳過ぎたあたりから、仕事も責任ある立場を

任されることも増えてきましたし、
後輩を指導する機会が増えたり、運営に関わる

業務に就くことも多くなりました。

その一方で、今まで意識してこなかった

「結婚・出産・子育て」というプライベートな

時間とどう向き合っていくのか・・・

出産のタイムリミットも見えてきて、この先の

働き方について考えをめぐらせ始めたのも

この頃でした。
 

そんな折、体調不良から婦人科を受診すると

いきなり子宮けい癌(ステージⅡ)の宣告を

受けました。38歳でした。
半年間の壮絶な放射線・抗がん剤治療を経て、

私が得たもの・・・

それは「多くの時間」です。
最初に治療に入った時は数メートル進むのに

1時間近くかかるほど体力が落ちました。

薬がキツすぎて大変な思いもしましたが、

元々体力がある方だったので、なんとか身体も

慣れて動けるようになったし、予定していた

治療計画をすべて終えて、あとは駆け抜けて

きた仕事をセーブするようになりました。


医療技術の進歩のおかげで、健康な40代を

迎えることが出来ている私ですが
今すごしている時間は、もしかしたら

「なかったもの」だったのかもしれません。

病気が発覚する少し前、仲のよかった友人が

【社会人生活を経てから再び学生として保育の

専門学校に通い始め、保育士・幼稚園教諭を

取ったこと】も、私のセカンドキャリア考察に

大きく影響しました。

子どもが大好きな私ですが、保育士になりたい

と思ったことはなく、大学や専門学校を卒業

しないと保育士の資格はとれないだろうと

勝手に決めつけていました。

その友人が「試験だけで保育士資格がとれる」

と教えてくれなければ、試験を受けようという

考えには至りませんでした。

もしこのまま、結婚、出産、子育てしないなら

保育士資格取ってみるもいいかも?とぼんやり

思ったところに、病気が発覚したのです。
 

だから、がんの告知を受けてすぐに保育士の

通信学習テキストを取り寄せました。

とはいえ、闘病が過酷すぎて実際に勉強に

とりかかるまでに、1年近くかかりました。
そこから固くなった頭を使い必死に勉強して、

何度も失敗しながらもなんとか3年かけて

「保育士」資格をとりました。

並行して民間病児保育資格、ベビーシッター、

幼児安全法、はたまた防災士の資格まで

取りました。
人の役に立ちそうな資格、保育に関連しそうな

資格は芋づる式に勉強して取得したのです。

2019年。

治療終了から5年以上が経ち、おかげさまで

経過観察の時期も終わりました。
今では充分すぎるほど元気ですし、治療当時も

まっ最中でも前しか向いていませんでしたが、

40歳で一度立ち止まって考えた子育て支援や

保育の分野に足を踏み入れて5年。

45歳が近づいてきて、またこの先どうしたいか

思いを巡らせています。

ベビーシッターを始めなければ感じることの

出来なかった赤ちゃんとのふれあい。

子どもたちの笑顔や保護者の方々からいただく

感謝の言葉に充実感でいっぱいになる反面、

これでいいのかと思っているのも事実です。

 

フルタイムで働いているわけでもなく、

レースアナウンサーやモータースポーツの

仕事がない時に、空いている時間を使って

ベビーシッターをしたり、ボランティア活動を

してきたものの、仕事も子育て支援もどちらも

中途半端になっているように感じるのです。


もともと、私の得意な仕事・好きな仕事は

「伝えること」です。
 

子育て中のお母さん、

仕事の質や関わる時間の割に、給与面で

不遇な状況の保育士さん。

急激に増え始めたベビーシッターさん。
この5年でたくさんの「現場」を見てきました。
保育の現場に足を踏み入れたからこそ、肌で

感じたことがたくさんありましたが、この先

それをどう生かしていくのか?

 

もっと情報発信する方に舵を切りたい。

得意分野である喋りと伝えることを主軸に

より多くの皆さんと一緒に、

未来を担う子どもたちを社会全体で支えて

希望が持てる未来をつくっていきたい。

と考えています。


ただ私はモータースポーツが好きだし、

喋りが武器になると思っているので

仕事の主軸は【MC】でありたいのです。

今の段階で、私の2020年シーズンの予定は

まったくもって白紙です。

 

来年どこで何をやっているのか?

何の仕事や活動をしているのか、

決まっている仕事もないし、

まったくもって不安定で、先は見えない。

 

これからまた少しづつ、自分の進みたい方向に

ついて考えて決めたいと思っています。


この先もどうぞ見守っていてください。