ブログの資料が見つかりません。今日はプレハブの倉庫を探しましたが・・・
四十年位前の事です、アルバイトに来ていた女子大生に(卒論の為)貸したのに戻ってきていないのではないかと言う決論を下して前に進みます
探しているといろいろな資料が見つかります
今掲載している【木版画】の資料です
木版画の歴史
●中国最古の木版画は、敦煌の金剛般若経の扉絵で、唐の時代咸通9年(866年)に製作
されたものであると言われています。
中国、日本ともにそれぞれ製紙の発達が進み、その大半は信仰に関係していました。
版木は梨や棗(なつめ)が使用されていました。
●日本の最古の木版印刷物は、法隆寺などに分蔵されている「百万塔陀羅尼文」です。
天平宝字8年(764年)、称徳天皇が延命・除災の為に書かれた4種の経典を、それぞれ
木版で印刷し、高さ14cmほどの木製塔に納めたものです。
その後も現在に至るまで、尊像の版画、あるいは、熊野牛王神符に代表されるような
垂迹版画が摺り続けられて、参詣客に配られたり、尊像内に納められたりしました。
室町期には『融通念仏縁起絵巻』が肉筆とは別に、版画絵巻としても版行されました。
(1391年。大念仏寺蔵)。
慶長期、京都において、角倉素庵により、嵯峨本に初めて版画挿絵が入れられました。
井原西鶴などの仮名草子の挿絵にも木版技術が使用されるようになり、その後、万治、
寛文の頃になると、出版文化の中心が京から江戸に移り行きました。
そして、延宝期になって初めて浮世絵師、菱川師宣の名を記した墨摺絵による冊子の
挿絵が現れ、ここから独立して鑑賞用の木版画による一枚絵が版行された。
その後、丹絵、紅絵、漆絵、紅摺絵、錦絵と発展していきました。
●ヨーロッパの古い木版画は、現存するものでは14世紀末にまで遡ります。
版木は梨、胡桃、あるいは柘植が使用され、東洋における桜、梨、棗(なつめ)とは異なり、
彫刻刀は東洋のものと似たようなものが使われました。
紙をのせ、刷毛またはタンポのようなもの(ぼろや毛を皮で包んだ用具)で擦って後から
着色するようになりました。
グーテンベルクにより、1434年から1444年頃、印刷機が発明されると版木が、金属活字と
一緒に油性インクで摺られるようになり、刷毛で擦るのではなく、プレスという方法に変
わり、版木も銅板に変わっていきました。
探していたのは「芭蕉辞典」