そのうち店内には二組の客が入り、ママがテーブルを離れ女の子も入れ替わり、すっかり酔ってしまった。
男はしまった。少しピッチが早いぞと思いながらもグラスに手を出してしまう。
時計を見ると十二時を過ぎている。そろそろ帰ろうとするがママが「 もう少しお願い」 というので何かもう少し待っていれば、なにか良いことでもあるのかとも思い、仕切りなおしにビールをぐいと飲む。
他の客が帰るので男も勘定を約束どうりに一万円札で支払いお釣りを二枚もらった。
そして、まかないの男も、女の子もみんないなくなりママと二人きりになるとママは
「 今日は無理を言ってごめんなさい」
さあ飲みましょうの合図でグラスを開けようとするのだが、グラスが鉛で出来たように重い。男はしまった、
ある期待があったのだが、今はそんな事よりグラスも何もかもが重たくなっていく。身体もソファーの中に沈みこんでいくようだ。男はすべて飲み過ぎたせいだと思った。
ママは言った。
「 私は実は阿波の八右衛門狸の末裔で一年に一度だけこうしてお店を開いているのです」
八右衛門狸とは阿波の鳴門の狸で、芝居が大好きで一年に何度か人間に化けては中座に芝居見物に来ていたのだが、ある時、芝居があまりにも面白くて、とうとう正体がばれてしまって犬に噛み殺された。
この話は男もよく聞いて知っていたのだが、あまりに深酔いし過ぎてママが冗談を言っているのだと思っていた。
「 夜も明けそうなので、私は帰らなくてはなりません、大変なご無理を言いました。有り難う御座います 」
男は急に眠くなった。
生臭い息と、蒸し暑さで眼を覚ますと一匹の犬が顔をなめていた。周りを見渡すと男のいる場所は、ビルとビルの谷間に段ボールをひきその中に寝転んでいた。周りには缶ビールの空き缶が山積みになっていた。ポケットを探ると二枚の木の葉がはらりと落ちた。
男は後日、自分の居たあたりを探索したが、フラワーショップもママのいた店も何処にも見当たらない。
その後男は、憑き物がついたように夕方になると相生橋に立っていた。
おわり