今年のお盆、実家に帰省し、父と会った。


父は、私と似ているところがたくさんある。


自己中心的

短気

協調性の低さ


私と似てるというより、親子だから、当然、私が影響を受けたのだろう。


私は、父が嫌いであったから、反面教師にしてきたが、気がつけば、父と同じようなことをしてしまっていた。


父は、家族の中で、暴君のように好き勝手に振る舞っていた。


そのような父を嫌悪したが、私も、自分の不機嫌を妻にモラハラ、フキハラという形でぶつけて、ひどい夫に成り下がっていた。


その結果、妻に捨てられ、離婚されてしまった。


今回の帰省で、私がこれまでと変わったと思う点は、私の感情が、父に振り回されなくなったことである。


今回の帰省でも、父は相変わらず、自己中心的なハチャメチャな言動があった。


これまでは、そのような父に、「この父は、息子である私のことを愛しているのだろうか?」と懐疑的になり、傷ついていた。


傷つきたくないから、父の機嫌をとるよような対応をしていた。


それでも、父から、期待した反応が無いと、ひどく落ち込んでいた。


今回は、それが無かった。


父が私を愛していなくても、私の対応は変わらない。


私は、息子として、父を大切にする。


ただし、親子と言えど、人を傷つけるような言動があった時は、「私はあなたの言葉で傷ついた。」と素直に伝え、帰省を早目に切り上げるようと思っていた。


幸い、今回の帰省では、そこまでのひどい父の言動は無かったから、良かった。


私が良かったと思うことは、父に対して、違和感を感じた時、私が、父の機嫌をとろうとしたり、過剰に反論したりせず、穏やかに、距離を置くことが出来たことである。


「あなたは、私にそのようなことを期待して、私をコントロールしようとしているのかも知れないが、私は、違うと思うから、あなたが期待する対応はしませんよ。」と心の中で、自分で感じながら、静かに傍観することが出来たのだ。


これまでは、そのように父の期待を感じると、父に認めて欲しいあまり、なんとか期待に応えようと、もがいていた。


今回は、それが無かった。


私の行動を決めるのは、私自身だ。


また、自分の機嫌をとるのは、自分自身だ。


父に認めてもらえなくても、自分で自分を認めて、ご機嫌になれると感じたのだ。


今回の帰省で、父との親子関係を深めることが出来なかったことは残念であるが、それ以上に、自分を自分で理解し、受け入れ、父に振り回されなくなった自分と出会えたことが本当に嬉しい。