だって いつか違う選択をするのではないか 
と相手に希望を持ってあげないと 
ただ冷たく見捨てたみたいじゃないですか?
それに そう思わなければ 一緒には居られません。
おかしいモノは おかしいって言ってあげるのは・・・
優しさ・・・じゃないですよね。

 そうだね。気づいたかい?
自分の物差しを相手に理解させよう としているだけだ。
君も実際には そんな優しさなんて後から付けた言い訳だろう。
ただ 自分と違う考えの者に腹を立てて 
逆に自分の考えを理解させたい  認めさせたい
と意地になっている。
そもそも “一緒に居られない”なんて 
誰が決めたのだろう。
初めから 一緒になんて居ないのに 
さも居たかのような 表現だ。

 例えば 目の前の犬に自分の考えを
認めさせようとは思わないだろう。

犬になんで 犬のまねをするのかと怒ったりしないだろう。
それは「そうだからだ」

まず 相手の状態を認めてあげなさい。
君がさっき言ったように 相手に本当の意味で
希望を持つのであれば 
人は日々 変化しているという事だ。

その者の選択のままに変化しているのだから 
君が口をはさむ必要もない。

今の段階では 「そうなんだ」という理解しかないんだよ。
それを受け入れた時は 自分の次の選択 
その相手への対応が見えてくる。


それが「許す」ですか?

 許す?一体 何を許すんだい?
相手が悪い事をした?
君の言う事を聞かなかった?自分を傷つけた?

いつ そんなことが起きたのだろうか?
謝ってくれば良いのかい?
許すに値する何かが必要かい?
あなたが正しいと言われたいのかい?


・・・・。

 答えられないだろうね。
今の質問は 君達の考えそのものだからね。
どれも愛ではない。

本当は 自分がどんな考えを持っていたのか解るだろう。
真理の上では 誰もが初めから許されているのだから 
君が許そうが許さまいが関係ない。

起こった事をないように考え直すものでもないし 
自分が納得できるかどうかのレベルでもない。

私が初めから許しているのに 罵倒し 
罰っそうとしている君達には 
どんな立場 関係が根づいているのだろうね。 
君達は 一体何者なのだろう。


そこまで 言われると言葉が出てきません。

 全ては 本来あるがままに ただ「在る」だけだ。
そう思わせないのが 君達の思考だ。
その考えに基づいて君達が選択しているから 
そうさせてくれる魂がやってくる。ならば 
君達の選択通りなのだから 
自分でそんな体験を招き寄せているとしか言いようがない。

と なるとどこで許しが必要だと言える?
自分で天に吐いた唾を自分で受けただけ
だと いつか理解できる時が来る。

そうやって 皆自分で招いた体験から 
自分を知ってゆくんだよ。

そして 知ったことを選択しなければ
理解したとは言えない。

君達は 変化してゆく 変化しかない存在だ。

本当は 人の事より 自分を何とかしたいとは思わないかい?