頑張って動き回っていると、やっぱり何かが起こるものだ。

 

2015年、8月の出来事がまさにそれだった。

 

 

 

 

イタリアで夢を叶える。

 

 

 

 

そのためにイタリアに移住したのに、全然それらしい成果を上げられないでいた。

 

一方で、美しいナポリの自然と優しいローカル民との関わりの中で幸福な満足感の中にいる自分もいた。

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転機となったのはミラノ。

 

2015年夏。imageimage

 

イタリア人にとってのその時は、ちょとした意味のある年だった。

 

ミラノエキスポ。

 

その年、ちょっとした社会現象になったのが、ミラノエキスポにおける

 

『日本館』

 

だったのだ。

 

イタリアでの日本文化ブームの火付け役になったイベント。

 

連日のように、行列をなしてイタリア人が群がった。

 

あの無秩序なイタリア人たちが、お行儀よく行列になって日本館を見学しようと集まったのだった。(私は実際に見てない)

 

 

その関係で私もその関連イベント見学にミラノに行った。

 

そして、その場を訪れていた人からあるプロデューサーを紹介された。

 

 

フェスティバルオリエンテ。

 

東洋文化の巨大なイベント。

 

 

その時はへぇえという印象だった。

 

どうせまたよくある勘違いイベントだろうなー

 

ニンジャ、ゲイシャ、寿司、ヤクザでしょ

 

なんで外国人はそう言うステレオタイプでしか日本を見ないんかなーー

 

 

 

そんな感覚だった。

 

 

 

 

そうしてナポリで8月末に、そのプロデューサーさんと会うことになった。

 

ミラノでお会いしたからから聞かされていたその東洋文化イベントは、規模からして異常だった。

 

たったの3日で7万人来場。image

 

概ね2週間にわたって開催する、色々な東洋文化ブースを出展。

 

東京ビックサイトや有楽町の国際フォーラムみたいなでっかいイベントスペースを貸し切って開催する。

 

1ヶ月ごとにヴェネツィアからミラノ、トリノやローマみたいなイタリアの大都市を巡業して回る。

 

 

 

 

 

スゴイ。。。。

 

 

 

 

 

ナポリで数年暮らしただけに、そのイベントのとんでもなさがわかった。

 

経済不況が何十年も続いて、もはや好景気なんて誰も知らないイタリア。

 

京都や大阪の人よりもさらにドケチで、お金を使うことに対して、まるで富士山が噴火しちゃうんじゃないかというくらいの恐怖と、あり得ないほどの慎重さを持っているイタリア人が、こぞってチケットを買い求めるイベント。

 

ありえん。

 

 

 

 

 

これはいいぞ、と思った。

 

地道に営業するよりずっとずっと好都合。

 

たくさんのイタリア人に歌を届けられるではないか。

 

それこそ自分がイタリアに引っ越した理由だし。

 

やってみよう。

 

 

 

 

 

 

 

ところがそのプロデューサーは、ほとんど人間じゃない感じの人だった。

 

鉄人。

 

鉄仮面ともいえるかもしれない。

 

それだけの大規模イベントを長期間にわたって成功させ続けている人だ。

 

日本の大企業創業者たちとも全然雰囲気が違う。

 

血みどろの殺し合いをずっと繰り返してきた将軍みたいな雰囲気だ。

 

その方がそうなってるのは、それには理由があるんだろうと思う。

 

東洋文化イベントということは、東洋人たちと仕事をすることが必ず発生する。

 

イタリアで東洋人といえば、シナ、インド、フィリピン、バングラデシュなど。

 

日本人とイタリア人の間ですら『当たり前』と言う言葉の意味は、ハレー彗星と冥王星くらいの距離があるのに、ましてや・・・

 

なんでもすぐ批判炎上の対象となる時勢だけに自制して言わないけど。

 

まぁ、た・い・へ・ん・す・ぎ・る、ってことでしょう。

 

 

 

 

 

やっぱり、日本は平和で、誰もがまずウソをつかずに約束を守り、マナーや共通常識が徹底されている、地球で唯一のゾーンだということだ。

 

それを、私たち日本人は知らないといけない。

 

 

 

プロデューサーさんの前で歌った。

 

 

 

らららーーーーーーーーーーーー

 

 

 

ふうん、じゃ、ステージで歌ってみれば?

 

ということでチャンスをもらった。

 

 

チャンス。

 

チャンスや!!

 

 

そう、これはチャンスだった。

 

イタリアでのサバイバルに生き残るための最初の壁みたいだった。

 

 

 

 

 

多分、2013年クリスマスのナポリでのデビューライブの方がずっと最初の壁なんじゃないかと、普通の人は思うだろうけれど。違う。

 

自分にとっては楽勝だった。

 

彼らと暮らし、彼らと歌っていたからな。日常的に。

 

反応が予測できた。

 

 

 

 

 

しかし、そのプロデューサーは違う。

 

イタリア人って感じがしなかった。

 

多分、色々東洋文化の文脈も理解してるだろう。

 

ノリだけじゃダメだ。

 

ノリだけでいいナポリの素敵なひとたちと違う。(もちろんインテリナポリ人もたくさんいるんだが)

 

 

 

 

 

おまけに、自分はオーディションというものが大嫌いだ。

 

普通、歌手だの声優だの役者だのなんて人生を選ぶ人は、死ぬまであまたのオーディイションばかりなんだろうと思う。

 

なんで私がそれを嫌いなのかというと、嫌いだから。

 

私の価値は私が決める。

 

なのにそこに他人の意思なんて関係ない。

 

 

 

 

 

 

 

そのテストとなるステージは・・・

 

 

 

ドクドク

 

ドキドキ

 

 

 

 

なんて、ことは全くなかった。

 

自分にとっては慣れ親しんだステージなだけだった。

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いままで通り、最高の歌を歌った。

 

当たり前に最高の反応が返ってきた。

 

ただ一つだけ違ったのは、その人数だ。

 

会場超満員で、

 

1000人近く、

 

その半分は立見だったらしい。

 

 

 

オイオイ・・・

 

 

試験なんだろ?

 

せめて10人とか5人のステージで歌わせた方が安全じゃない??

 

 

なのにいきなり1000人って・・・・

 

 

 

 

 

 

 

試験だったから、残念ながらそのビデオはない。

 

イタリア人らしい反応だった。

 

つまり

 

『最高!=拍手喝采』

 

『イマイチ=拍手まばら』

 

『だめ=シーンとしてる』

 

の中で最高にカテゴライズされたということだった。image

 

 

 

こうして、イタリアの大舞台を回る怒涛の一年間が幕を開けた