静かに流れる時間、、


ここは京都大原、阿弥陀寺。

東京からはるばるお越しくださった友人をお連れした
美しい発色の苔

目を奪われる、、


お堂の鳳凰が眩しい

お寺に入るためには急な坂道を登る必要がある




普段運動しない人には大変だろう

世俗から遠い場所だけに、このように清らかな空気が保たれているのだ。


情報があふれる現代。

だからこそ、私は聖地からエネルギーを送りたいと思っている。

なぜか?

それは、お一人お一人の心の中に語りかけたいからである。

本来誰もが清らか。

生まれた時はみんなそうだった。

いつでも本来の姿に戻れる。

ここで言っている清らかさとは、雑念のない状態のこと。

雑念とは、他人にどう思われたいとか、不安や恐れといった感情のこと。