三浦大知×JUJU VocalReview「やさしさで溢れるように」

 

FNS歌謡祭は、他の人の曲をカバーする企画と、このように何人かでコラボする企画がある。

それは、往々にして、上手く行く場合とそうでない場合がある。

普段、1人で歌っている人が他の人とコラボする場合、とくにそれは顕著だ。

うまくいかない原因は、いくつかあるが、最大の原因は、「声の質があっていない」ことが挙げられる。

とくに女性歌手と男性歌手がコラボする場合、この要因が、一番だと私は思う。

番組制作側が、この歌手とこの歌手をコラボさせようと考えるとき、話題性、意外性、また、実力などを考えるのだろうが、歌手の持つ声質まで考える人は、殆どいないのではないかと感じる。

ハーモニーにとって、声質は、最も重要な要素で、綺麗なハーモニーを作ろうと思えば、正確な音程と共に声質を合わせるという作業を必ずしなければならない。即ち、二人の声の波動が合わなければ、波動を合わせる作業をしなくてはならないのだ。

しかし、このようにテレビ局がその場限りの企画をした場合、声を合わせてハーモニーを作るという作業をする時間的余裕はほとんどないと思われる。

 

おそらく、企画が決まれば、それぞれの歌手にデモテープと楽譜が渡され、各自、練習しておく、という流れなのだろう。

そして、実際に声を合わせて歌うのは、本番前のリハーサルでの何回かの音合わせということになると思う。

それは、ハーモニーを作るというよりは、テンポであったり、タイミングを合わせたりという楽曲的なものが主流であり、カメリハであったり、場所確認という映像的な要素が大きいかもしれない。その僅か数回の音合わせの中で、歌手は、相手の歌を聴きながら、自分の声を確認して、本番に臨むという流れになると思われる。そこにハーモニーを作るという作業が入り込む時間的余裕はほとんどないと言えるかもしれない。

結局、上手く行くかどうかは、二人の声質の占める割合が大きいと言わざるを得ないと感じる。

これが、ミュージカル俳優などのように、常日頃から、相手の歌声に合わせてハーモニーを作るという作業に慣れている人達であれば、どのような声質であっても、相手に合わせることは出来るとも考えられる。

 

三浦大知とJUJUのコラボは、そういう点から見た場合、声質がよくあっている。

JUJUの歌声は、一見、鋭角的で、ハッキリした色を持つが、中・低音域に於いては、意外にもソフトな響きを持つ。それに対して、三浦大知は、全体的に幅のあるソフトな中・低音域の声質を持つ。さらに「球体」以降、彼の歌唱力は、様々な音色を作り出すだけのテクニックを身につけている。その為、JUJUの声質に合わせて、自分の色を極力抑え、ソフトな響きの歌声を心掛けているように聴こえる。

この二人の響きの倍音が、上手くマッチして、メリハリのあるハーモニーを作り出しているのだ。

三浦大知は、二人のハーモニー部分に於いて、下のパートを歌う前半の部分では、JUJUの歌声が際立つように、幅の広いソフトな響きで彼女の歌声を支え、自分のソロ部分になれば、ミックスヴォイスの鋭角的で直線的なハッキリとした色の歌声を披露している。また、後半の彼がメロディーを歌い、JUJUが3度上のキーでハモっている部分では、やはり、直線的な色を持つミックスヴォイスで歌い、自分の音色というものを明確に提示している。

また、JUJUに於いても、三浦大知と同じように、ハーモニー部分、ソロ部分に於いて、歌声の色を使い分けている。即ち、ソロパートやメロディー部分を歌うフレーズでは、しかりと自分の歌声の色を提示し、後半の3度上のパートで、彼女がハーモニーを作る部分に於いては、自分の歌声の色を極力消して、三浦大知の歌声が際立つように歌っている。

この切り替えが、二人とも見事だと思った。

さすがに高い音楽性を持つ二人であり、声質の似通った部分を持つ二人であったからこその出来栄えだった。

JUJUは、自分の持ち歌であるため、この曲を知り尽くしているとも言える。

そういう点で、ハーモニーをつくりやすかったのかもしれない。

二人の歌唱によって、曲が引き立つものとなったと言える。