前の更新『実物大の恐怖と不安をわかってもらえたという奇跡のような体験』からちょっと間が空いてしまいました。

引っ張ったつもりはないのですが(^-^;

 

今日は、私が今現在「こういうことではないか?」と考えている

カウンセリングという心理療法の根幹にあたる部分をズバリ書いてみたいと思います。

 

人は誰でも例外なく、養育者から生きていくのに最適な方法を学びます。

ほとんどの場合、養育者とは親、しかも子と最も密接な存在である母親です。

 

「母親から学ぶ」というと、いかにも母親が教えてくれるものを、子が習い覚えるように思われますが、そうではなく

「母親の生き方を通して、子は自ら無事に生き延びていく方法を自然と身につける」というふうに言った方が真実に近いかもしれません。

 

例えば・・・・

母親が何かの事情で留守がちであるとか、母親自身が重大な問題を抱えていて子の為に十分な時間と心をかけられなかったといった場合

子は、「辛抱する」とか「我慢する」とか「誰かに頼らず自力で何とかする」などの「生き方」を学びます。

 

嫁姑問題で、母親が家の中でいつも肩身の狭い思いをしていたり、傷ついていたりすれば、子は物心つくかつかないかのうちにそれを敏感に察して、よけいな心配を母親に掛けないようにと、よほどのことがない限り自分の欲求を口に出さない人になったりするケースも考えられます。

 

また、母親が子に、自分をいじめてくる姑の悪口や愚痴をこぼすのを常にしていると、祖母の悪口を毎日のように聴かされ辛い氣持ちになった子は、「人の陰口、悪口、愚痴をこぼすことは良くないことだ」と学び、成長するに従って、人のことを悪く言うことを自分にも人にも許さないという「生き方」を身につけたりします。

 

このように「反面教師」的にも、子は自分が生まれ育った「場所、環境、人」から自分に最適の「生き方」を「学び」「身につけて」いくのです。

 

これを【原家族問題】と呼びます。

原家族問題は、どこの家庭にもあります。

原家族問題が無い家庭はないのです。

ですから、問題とは呼んでも、それ自体は悪い事とは限りません。

 

さて、ここでまた、結愛ちゃん虐待死事件で明らかになったノートから、被虐サバイバー=異邦人の問題を【原家族問題】の視点から考察してみようと思います。

 

【原家族問題】はどの人にもその後の人生を生きる上で大きく影響しますが、最も極端な形で影響を及ぼすのは、間違いなく「虐待する養育者」のいる家庭におけるものでしょう。

 

何度も繰り返し書きますが、虐待を受けた子は、その虐待が身体的暴力であろうとも、身体的ネグレクトであろうとも、心理的虐待であろうとも、虐待の内容に関わらず、ほとんど同じ「生き方」を身につけてその後の人生を生きていきます。

 

それは、虐待の根本に「親の子に対する心理的ネグレクト」があるからだ、と『虐待の根本にあるもの』で述べました。

 

「自分の存在=命はお母さんに受け容れられていない」

「お母さんは、私のことをわかってくれていない」

と感じた子は、一様に以下のような「生き方」を保持するようになる、と『書かないではいられなくなったこと』で述べました。

 

  • 誰にも頼ってはいけない
  • 何が起こっても独りで解決しなければならない
  • 絶対に失敗は許されない
  • 一度でも間違いを犯せば命取りだ
  • 自然にしていてはあぶない
  • 望むように生きては危険だ
  • 欲しいものを欲しいと言ってはならない
  • 欲しいと思ってはならない、感じてはならない
  • 欲しがっている自分はいけない人間だ
  • 我慢をしている間だけはほんの少し安心できる
  • 困難に襲われているときの方が許されているような気がする
  • 自分の本心が滲み出て我慢が利かなくなったとき、それは命の危機なのだ
 
【原家族問題】によって子の心に沁み渡った「生き方」の正解は、その後の人生において消えることなく機能し続けてしまいます。
それはまるでPCにおける「基本ソフト」=OSのようなものです。
しかも、本人には生きていく上での「前提条件」になっているので、それらを自覚することはとても難しいのです。
 
 
ここからは、私の個人的、かつ非常に感覚的な記述になります。
被虐者として(そうとは夢にも知らず)50年近く生きてきて、カウンセリングという「治療」を4年半受けて、「回復」したサバイバーの実感としてお読み戴ければ、と思います。
 
あぁ、私の生き方には、ボタンの掛け違いがあったのだ・・・・
 
カウンセリングを受け始めて、1年位は経っていた頃だと思います。
唐突に、そんなふうに思いました。
 
それまで自分の生き方は、ちゃんとしている、きちんとしてる、自分にとっては好ましいものであると信じて、誇りに思ってさえいました。
ところが、週に一度ずつ、過去の自分について、母との間にあったことについてただただカウンセラーの前で喋っていくうち、クライアントであった私の心には微妙な変化が起こり始めました。
 
カウンセリングに通い始めた当初、私はかなり冷静だったと思います。
あまり感情過多に大袈裟なことを語ってはいけないとブレーキを踏みつつ話し始めたのだと思うのです。
 
「実際、私の経験したことはそれほど深刻なものじゃないし、世の中の本当につらく苦しい思いをしている人と比べたら何ちゃないことだわ」と自制していたのかもしれません。
でも、とにかく思いつく限り、過去を振り返っては語り、突然記憶が甦っては語り…していくうちに「私、もしかしたら相当辛かったんじゃない?母は、本当にひどかったんじゃない?」と感じるようになっていったのです。
 
辛かった自分の氣持ち、わかってほしくてあんなに頑張ったのに地面に叩きつけられ、突き返された口惜しさ、無念さ、あんなこともあった、こんなこともあった、すごくひどいと思います、よくもあんなことが、と次第に正直な気持ちがあふれ出てくるようになりました。
 
最初、冷静だと思っていた私は、あるものを無いものとして力任せに塗りつぶしていた自分だったのです。
「もうあの苦しみを二度と思い出したくない!」
「惨めな自分を二度と見たくない!」と無我夢中で自分の心に蓋をしていた、それこそ冷静さを欠いた自分だったのだ、ということに氣づいていきました。
 
自分が身につけていた重い重い鎧が一皮ずつ剥がれ落ちて正直な気持ちが現れていくに従って、お気に入りだった(笑)私の「生き方」の正解には、ボタンの掛け違いがあるようだ、とわかりました。
 
誰にも頼ってはいけない
失敗は「死」そのものよりも恐ろしい
今ここにあるありのままの自分であってはならない
何かを欲しいと思うのは強欲で罪深いことだ
本当の自分を誰にも見破られてはならない
・・・・といった数々の強い禁忌事項は、あの時、あのようにして私の中に発生し、そして日々強化されていったのだ、と腑に落ちていきました。
 
それらは、子に対して愛着がある「普通の」お母さんのもとでは、身につける必要のない「生き方」であったのだ、ということも同時に心の底から納得がいき始めました。
 
イヤという程、もういい加減喋ることなんかないというくらい語ったからこそ、行き着いた地点でありました。
そこに至って、私は自分の「生き方」が何を学んでも、どこへ勉強に行っても、根本のところで改善されないままであった訳をはっきりと見ました。
 
ボタンの掛け違いが起こっていた
その掛け違いは、ほとんど生命が脅かされるレベルの重大な原因で起こった
それは「虐待」と呼ばれていいものであった
 
人として、子どもとして、お母さんに求めるのが当然のもの
お母さんから与えられるのが当然のものが
現実には求めても与えられなかった
その為に、当然であり自然であり、この世の法則に則った命の流れに「捻じれ」「撚れ(ヨレ)」が生じたのだ
 
ボタンの掛け違いの為に生じた生地の撚れ(ヨレ)が厳然とあるにも関わらず、掛け違ったまま、私は新たな知恵を学ぼうとし、正しさを更に付け加えようと必死に頑張った
だから、生地はますます捻じれ、撚れ、ひどく引っ張られ、引き攣れ、負荷が限界に達し、とうとう生地はやぶれてしまった、それがジストニアという病気だったんだ・・・・
 
これは、前の更新『実物大の恐怖と不安をわかってもらえたという奇跡のような体験』で書いたように、カウンセラーである高橋先生が、私以上に私の中で起こっていることを深く理解して聴いてくださったからこそ起こりえたことでした。
 
 
カウンセリングは、掛け違えられた時点に戻り、ありありとその時の自分を見ることです。
「あぁ、私の人生のボタンはここ(この時点)で掛け違えられたのだな」と本人が心の底から得心がいったとき
「生き方の正解」としてその人の心身、細胞にまで深く練り込まれた「捻じれ」と「撚れ」が、あるべき自然の状態へとゆっくり戻っていき、やがてきれいに修復されます。
 
 
過去に起こったことを振り返って意味がある?
人生は今とこれからが大事
前を向いて歩いて行こうよ
親に何をされた、ツラかったって言って、何が変わる?
 
至極もっともな意見に思われますが、もし生きることの根元に「捻じれ」と「撚れ」があったなら、ボタンの掛け違いが起こった時点へ戻ってみる=カウンセリングという心理療法が大変有効な方法だろうと私は感じています。
 
「過去を掘り起こし、蒸し返して何になる??」という問いに、私は自らの経験を踏まえてこう答えたいと思います。
 
過去を語り、それを深く理解する人が聴くとき、その人の「今」が劇的に変わる。
「今」が変わることによって、その人の「これから」もまた大きく変っていく。

 

 

 

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