母が施設入居して3ヶ月経とうとしています。

振り返ると、お正月5日に尻もちで立てなくなり

6日未明に再び尻もちで、救急隊のお世話になり

それを受けて6日の午前中に施設に入れることを決めた私は

 

結局、その月の20日に、現在母が暮らす

介護付き有料老人ホームに入居させた訳ですから

決意してから2週間で、施設探し、諸手続きを経て

目標を果たしたことになります。

 

その間、1週間のショートステイをさせてもらえる施設への

アプローチも並行して行なっていたのですが

施設のケアマネージャーさんと母との面談も済んで

さあ、いつ移動しましょうか、という段階になって

入居者にインフルエンザ患者が出てしまい

その施設は一時閉鎖

 

ショートステイの間にじっくり本入居の施設を吟味して…

という私の目論見は実現せず( ̄▽ ̄;)

 

それなら!ということで私の思考は急転換

猛スピードでいくつかの施設を見学し

「ここ!」と決めたホームに、もう殆ど力業的早さで

スピード入居させました。

 

本来は、本人と施設ケアマネジャーとの面談後

家族(身元引受人)の各種同意書などの説明

→署名・捺印などがあり

主治医からの情報提供書などが揃ったら

すべての書類をまとめて提出後、入居契約

契約後に日程を決めて入居、という運びが通常だと思います。

 

それを、主治医から情報提供書を書いてもらっている間に

施設ケアマネさんに面談を進めてもらい

同時に入居の日程を決めて、契約その他の書類署名・捺印は

入居日にします!ということで

かなりの我儘を通しました。

 

そうそう、各施設のケアマネさんと母の面談では

おもしろいことがありました(;^ω^)

 

私は実家にはおりましたが、ずっと同席していた訳ではなく

面談が始まってしばらくすると、猫にご飯をあげに立ったり

自分がトイレに行きたくなったり、電話が鳴ったり…と

面談で母が喋った内容をすべて聞いていた訳ではないのです。

 

それで、あとからケアマネさんから確認があったのですが

「日本ではなく海外のお生まれだということでしたが・・・・」

「職業はオペラ歌手をなさっていたと・・・・」

「つい最近までご自宅でピアノの先生をされていたと・・・・」

「海外生活が長く、日本式の生活に慣れていないというのは・・・・」

 

私「はぁ、まぁ(;´∀`)…いえ、そんなこともないかと…

私の生まれる前のことはよくわからなくて…

ピアノを習いに来ていたご近所の方も

いらっしゃったのかも・・・・」と

言葉を濁してしまいました。

 

母の喋った内容は多分に誇張で盛られてはいますが

まんざら嘘と言い切れない程度の

真実の断片も含んでいるのです。

 

私としては、認知症があると思われたくなかったので

(実際、母は認知症ではありません。

話を盛って見栄を張るのは

若い頃から少しも変わっていませんから(笑))

はっきりと「そんな事実はありません」と言いはしませんでした。

 

私は長い事、母を普通の人(正常知能)と信じていましたので

10年くらい前までは

見栄を張って、ある事ない事誇張し話す母を見ると

もうイライラして「そんなこと、ある訳ないでしょ!?

どうしてそんなありもしないことを言うのよ!!?」と

いちいち母に撤回や反省を求めていましたが

今や、その想像力(妄想力?)にニヤついてしまいます。

 

ケアマネさんたちには申し訳ないと思いつつも

とにかく施設に受け入れてもらわねば!という氣持ちが勝りました。

 

母は面談の時は、実に活き活きと元気いっぱいで

喜々としてとても気持ちよさそうに受け応えていました。

なにしろ、自分のことについてあれこれ質問してもらえて

自由に喋っていい場ですので

もう母にとってはこれ以上氣分のいいことはない訳です(笑)

 

そんなこんながありまして、とにもかくにも

2週間以上の在宅介護はしない!と決めた通り

多少の無理を通して突き進みました。

 

入居にあたって施設側から渡された

持参するもののリストの通り

仕事の合間に必要なものを購入し、移動当日の昼まで

名札を縫い付けたりしていました。

 

小さな引っ越しのようなものですから

母がそれまで使っていた小さなデスクや、椅子や、ソファ

ティッシュ類などの消耗品や細々とした母の愛用品

下着を含む衣料品など

すべてに名前を付け、休みの夫を駆り出して

大きな荷物は先発で移動を始めてもらい

 

介護タクシーに乗せるまでは介護スタッフに手伝ってもらい

母と私は二人、50分ほどのドライブで施設まで向かいました。

 

実は、前日まで

「洋服に着替えて移動しましょう、その為に

介護の方もお願いしてあるから、着ていく服はどれがいい?

ここに準備しておくからね」と話をして

母もその気で「そのスカートとブラウスとカーディガンに

このひざ掛けとストールを巻いていく」と言っていたのですが

 

いざ出発の前になったら

「着替えるのは厭だ、この寝巻のままで行く」と言い張りました。

介護スタッフも

「お車が迎えに来るまでまだあと3時間以上ありますから

ご気分がよくなったらお手伝いしますので

着替えましょうよ、素敵なスカートとブラウスですね」なんて

なだめてくださったのですが

もう「イヤだ、絶対イヤだ!」の一点張りで

着替えさせるのは諦めざるを得ませんでした。

 

そのくらい、この日の母は消耗が激しく

体力的に限界だったようです。

 

介護タクシーの中でも

「あっちは食事は何時?今は何時?あとどれくらい?

頭がぼーっとして何が何だかわからない」と不安げな様子でした。

 

車中の母は、頼る相手が目の前の私しかおらず

虚勢を張ることも、無理難題を言うことも、キレることも

ありませんでした。

 

私も、母の不安から出てくる質問に

できるだけ不安を和らげるように

穏やかに、噛んで含めるようにいろいろと話をしました。

 

功を奏したのか、施設に着く頃には

母は、昔よく歌っていた歌を口ずさんでいました。

 

先に到着していた夫が

母の個室に大荷物を運び入れてくれていたので

母をベッドに寝かせてから、身の回りのものを母に説明しながら

収納していきました。

 

個室は18㎡ありますから、ちょっとしたワンルームマンション程度

 

 

しばらくして、落ち着いた頃を見計らって、施設の方が

契約の為、母の個室の近くの部屋へ案内してくれました。

 

回診に来てくださる内科・歯科のクリニックの担当の方や

施設長や看護師・介護士の方々、もちろんケアマネさんと

次々に挨拶をし、説明を受け、書類に署名していきました。

夫と手分けをしましたが

それはそれは手の感覚が麻痺してくるほどの大量の書類でした。

 

2時間以上かかって

すべての手続きを終えた頃には日はとっぷりと暮れていましたが

母の部屋に戻って、夫と私はしばらく3人で過ごそうとしました。

 

しかし、その頃には母は

「今日は土曜日、いつも見ているテレビがあるから

テレビをこっちに向けて。

ベッドをもっと起こして」と、テレビに気が行っていて

私たちが視界を遮ると文句を言うほどまでに

いつもの調子に戻っていましたので

私たち夫婦は静かに施設を後にしました。

 

「ベッドを起こして、もっともっと」と言うけれど姿勢に無理がありそう(;´Д`)
「座る位置をもう少し調整しよう」と言ったら「これでいいんだぁー!!」とキレた母。

いつもの調子に戻っていました(笑)

 

チェストは施設に備え付けのもの

その他使っていた小物や装飾は、これまでの生活環境となるべく変わらないようにと思い、持ち込めるだけ持ち込みました

 

大きなクローゼットも備え付け

奥行きもあるので、着るものだけでなく何でも入る

人が4人くらいは入れそうで(笑)収納としては充分です

 

 

帰りの車の中で、夫が

「ご苦労様だったね」と言いました。

私も「あなたこそ。疲れたでしょう?ありがとね」と返しました。

 

自宅に戻ってきたのは夜9時頃でしたが

夫が「今日は一杯飲みたいんじゃない?近くに呑みに行こう!」と

いつになく積極的に誘ってくれたので

ぶらぶら歩いて出かけました。

 

ビールで「お疲れ様ぁ~」と乾杯をして

つまみを2-3品頼んだら

とても空腹で疲れていることに氣づきました。

 

飲むほどに、食べるほどに

胸から湧き上がってくる何かがあって

正面に座る夫に向かって話したい気持ちになりました。

 

でも、私から出てきたのは、言葉ではなく

涙でした。

自分でも意外でしたが、居酒屋のテーブル席で

中年のオバサンが恥も外聞もなくポロポロ涙を流したのです。

 

その涙はいったい、何だったのか?

 

今でも、明確に「こういうものだ」と説明することは難しいです。

 

強いて名付ければ、それは「寂しさ」「悲しさ」

そして「可哀想」という氣持ちの涙でした。

 

心が、大波に揺られる子舟のごとく

ぐらんぐらんと動くのにつられて

涙が湧き出し、流れ落ちました。

 

不思議なことに

泣いている私は、苦しくもつらくも痛くもなかったのです。

なぜなら

母親を施設に入れた「寂しさ」「悲しさ」ではなかったから。

施設に入った母親を「可哀想」に思う氣持ちではなかったから。

 

例えるなら

道端に、打ち捨てられた小動物を見つけたときに似た

命に対する「可哀想」さ、「寂しさ」「悲しさ」であったように

思われます。

 

母を、捨て猫になぞらえるのではありません。

ただ、そういう時に感じるのと、どこか似通った感覚だったのです。

 

母親を施設に入れた後悔や罪悪感は

微塵もありませんでした。

 

ただ純粋に「命」というものに対して「哀しみ」を感じたのでした。

 

人は、生きている、ということにおいては皆

「悲しさ」「寂しさ」と共にある存在ではないのか?

 

人が生まれ、この世で生きていることは

それ自体がある面から見れば、既に

とっても「可哀想」なことなんじゃないのか??

 

その人間がどんな人間であれ

自分にとって大切な存在であろうがなかろうが

善人であれ、大悪党であれ

 

人は、生きているということにおいて

本当に「可哀想」であり、同時にとてつもなく「愛おしい」

 

私は、「命」ってものを愛しているんだなぁ

他人の命であろうが、自分の命であろうが

好きな人の命だろうが、嫌いな人の命だろうが

「命」は愛され、大切にされるべきものとして

この世界に存在しているんだなぁ

 

そういったことが、理屈ではなく、感情として

こみ上げてきてしようがありませんでした。

 

そして、その事実を、母親と言うより

私がこの世に産まれ出てきて一番長く、一番身近で生きた

その存在を通して目の前に広げて見せられたような

そんな何とも言葉にしづらい感覚でした。

 

ここから先は、今、この文章を打っていて考えたことですが

 

もし、私が母親のことを

今も自分の母親として特別な感情を持って見ていたとしたら

こんなに顕わな感覚としては捉えられなかったと思います。

 

母親という特別な存在に対して子が持つであろう

愛情や、憎しみや、口惜しさや、感謝や、恨みや、

怒りや、執着や、思い入れや・・・・

そういったものを、ぐるっとひと回り、いや、ぐるぐるぐると

何十回も回り巡って

すぽんっと、すっからかんの何もない空間に躍り出て

 

初めて、「命」そのものの姿を垣間見る瞬間に出くわしたような

そんな気がしています。

 

3週間後の母

入居当日とは別人のように氣力・体力を持ち直し、毎日施設スタッフの方々を手こずらせているようです(^▽^;)

何度か「…こう主張されて困っています。危険を避けるため施設の規則をご理解いただけるよう、娘様からご説得をお願いできないでしょうか?」と連絡が来ちゃいましたけれど(笑) お安い御用です!

 

 

 

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