アレクサンダー・テクニークという身体法のレッスンの中で

「歩く」という動作は、「一時的にバランスを崩すことから始まる」

というような話が出ました。

 

まあ考えてみればその通りですね。

両足で立って安定しているところから

片足に体重がかかって

反対側の足の膝が曲がり、足が上がる

そして、一歩を踏み出すのですから

一時的に身体のバランスが崩れ、不安定になります。

 

一歩が踏み出され着地すれば

また一時的安定状態になりますが

次の一歩が繰り出されるときには再び不安定になります。

歩くというのは、ほぼ間断なく「安定」⇔「不安定」状態を繰り返す「進むための動作」だと言えます。

 

反対に言えば

不安定を拒否し、安定状態だけを維持しようとすると

「動けない」と考えることもできます。

 

レッスンでそんなことを身を以って体験しているとき

ふと「あぁ、これは心も同じだな」と思いました。

 

心が動くとき

一時的に安定が崩れます。

心的に不安定状態になることは心地悪いものと知覚されますが

しかし、動こうとしている心にとって一時的不安定状態は

どうしても避けようのないことなのです。

 

安定を強く望み過ぎて動けなくなる

こちらの方がツラい場合も多々あります。

 

身体と違って、心は目に見えるものではないので

心が動こうとしているんだな

だから安定を失っているんだな、というふうに

自ら認識することは難しいですが

確かにこういうことが起こります。

 

実は、私たちの心は日々、こういった「安定」⇔「不安定」状態を

繰り返しながら生きているのではないか?

そんなふうに私は思っています。

 

小さな不安定さは、それと認識できないほど微かなもので

心地悪さもそれほど強くは感じないで過ぎていきます。

歩くのと同じことで、日常茶飯事的、一時的不安定さです。

 

よく「心が常に安定している人」というような言い方をしますが

実際のところは、どんな人の心も小さな動揺(この言葉も「狼狽」とか「落ち着きがない」などの意味がありますが、ここでは文字通り「動き」「揺れる」ことです)は

日常的に、或いは一日に何度となく

起こっているのではないでしょうか。

 

心が揺れたり、動いたりすることは

決していけないことではないと私は思います。

むしろ、生きていることの証ですし

生きる醍醐味でさえあると思います。

 

感動的な出来事に遭遇した時など

心が動かされる、心を揺さぶられる、というように表現しますね。

これも一種の心の動揺です。

 

感動によっても、心は一時的に安定を欠きますが

不思議とこれは心地よさとして認識されます。

こういった望ましい心の動揺だけなら

どんなにかラクなことでしょう。

 

けれど、振り子と同じように、一方向だけの揺れは

残念ながらあり得ないようです。

 

 

ポジティブな揺れがあれば、ネガティブと感じられる揺れもまた

必ずあるものなのではないでしょうか。

 

これは、人がいくら活動的にたくさんのことをして生きたいと

強く望んでも

24時間のうち、その3分の1程度は睡眠をとらなければ

活動的に生きられないのと同じ道理のような気がします。

 

だから、どんなに「心が常に安定している」ように見える人にも

心地の悪い心の不安定さはあるのだと私には思えるのです。

 

ただし、「人間ができている」と(例えば高橋先生のように(笑))

その心の不安定さによる心地悪さを表出させないので

傍からはわからないだけなんじゃないかな?と・・・・(^-^;

 

それから、ここが重要なところなのですが

心の動きが大きければ大きいほど

不安定状態が深く、長く、苦しく感じられる

というのが私が感じていることです。

 

心の“マイナーチェンジ”程度のことは

日常的に誰にでも起こっているけれど

自他ともにさほど影響が出ない

 

でも、生き方の根幹に関わるような

心の大きな変化、重大な動きは

その人の日常生活にも、人間関係にも、生命維持にさえも

影響しうるほどの不安定状態となる

 

そんなふうに感じます。

 

前回の更新記事

「心が回復していく過程は、ツラい」ものだ

と書いたのは、こういった理由です。

 

心の回復とは

それまでの苦しい心の状態から

ラクで愉しい心の状態へと

心が「揺れ」ながら「動いて」いくことです。

 

心が動き始めれば、一時的に安定は崩れます。

苦しい状態で安定しているのがツラいのは言わずもがなですが

心が動き始め、不安定になるツラさもまた

悶絶ものの苦しみです。

 

私はその時期、何を食べても美味しくなかったし

何もする気にならなかったし

何かをしたとしても全く面白く感じなかったし

何を見ても愉しくなかった。

美しさも、快さも、喜びも、すべては色褪せていました。

ただ、動けない自分でいることがツラいだけでした。

 

苦しい心の状態から脱するために

別の苦しみを味わった訳です。

 

心が回復していく過程は、ツラいものだ

 

何度でも、こう書きたくなります。

 

歩くという動作の話に戻りますが

一時的にバランスを失った身体が

転ばずに前へと歩を進められるのはなぜでしょう?

その道理や仕組みを論理的に説明することは難しいです。

けれど、私たちの「身体」は知っています。

失われたバランスを取り戻す方法を。

 

だから、私は思うのです。

バランスを失って不安定になった「心」が

再び安定を獲得する方法は

私たちの知識や思考ではなく

「心」自身が知っているのではないか、と。

 

だから、心に降伏します。

私自身の「心」を信頼し、委ねます。

 

そして、「心」が動くことを受け容れて生きたい

バランスを崩し、不安定さにあえぎながらも

やはり「心」が動くことの、その奇跡を味わって

これから先も生きていきたいと思うのです。

(できれば早く「できた人間」になりたいです(笑))

 

 

 

 

今年も、たくさんの方にこのブログを読んで戴きました。

定期的な更新がままならないこともありましたが

お読みくださり、誠にありがとうございます。

 

多くの方からメールやメッセージを戴きました。

どれも本当に嬉しく、励まされました。

心からお礼申し上げます。

 

また来年も、どうぞよろしくお願いいたします。

 

よいお年をお迎えください。

そして、豊かで幸せな一年となりますように・・・・キラキラ

 

 

 

 

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