問題を抱えているとします。

或いは、このままでは日々を生きていくのに

苦しすぎる、という状態に陥っているとします。

 

「この問題さえ解決すれば!…」

「この苦しみさえ消失すれば!…」という氣持ち

 

心底、解決法を知りたいですね。

何とか、解消したい、どうすればよいか知りたい

誰かが「こうしたら解決するよ」と教えてくれれば

藁にすがるような想いであっても、それに賭けたい!

 

そう思っていることにほんの少しの嘘もありません。

 

仮に、正解や解決法を教えてくれる人があったとします。

メソッド、技法、療法、コーチング…

「あぁ!これさえ頑張ってやっていけば解決するんだ」という

実感もある、信じられる…

期待して「さぁ、頑張ってやっていこう」とする

 

けれど…あれ? どうしたことか

その正しい方法を行動に移すことができない

思い切ってやってみるところまではしたけれど

数週間と続かない…

 

なぜなんだろう?

これさえ実行していけば、いつかは問題解決に辿り着くって

わかっているのに…

 

こんな私は怠け者だ

こんな私はダメダメだ

素直じゃないんだ

いじけてるからだ

頑張りが足りないんだ

こんな私だから、解決できない問題を抱える羽目になったんだ

 

 

 

何かのメソッドに取り込むことで問題解決に向かおうとするとき

こんな落とし穴に足を取られてしまうと

まったくの逆効果となってしまいます。

 

悩みや苦しみから脱することを目指していながら

結果として、どんどん自分を追い詰めてしまうことになるからです。

 

正解と、解決法を求めて

ひたすらメソッド行脚を繰り返していた頃の私には

幾たびも、こうした袋小路にぶつかって

更に悩みを深く、苦しみを強くしていった過去があります。

 

私は、体育会系なところがあって

学生時代から、社会に出てからも、出された宿題は

石にかじりついてでも!という勢いで

こなしていました。

 

それは苦悩の解決のために

○○メソッドなり△△セラピーなりに取り組みだしてからも

変わりありませんでした。

  • これを作成しなさい
  • これを実行しましょう
  • 日報をつけてください
  • 課題実践状況をレポートしてください

そんな課題が与えられれば、喜々として実行して

夢中で取り組みました。

あるときは、それをツラく感じても、苦しくても

取り組んでいるプログラムの進行上、課題が出されると

ほとんど完全な形で期日までに仕上げ

提出していました。

だから、大抵どこでも優等生でした。

 

優等生であることが、私の生きる支えであったため

自分の心に逆らってでも

このポイントだけは外せなかったのです。

 

ところが、ある日を境にして

突然、動けなくなりました。

 

それまでは喜々として課題に取り組めたのに

突如としてエンストを起こして、二度とエンジンがかからなくなった

壊れた自動車のようでした。

 

頭では、やらなくちゃ、やれ!やれ!

今までは何だってやってきたじゃないか!?と

自分自身に命令を下すけれど

どうしても身体がついてこない・・・・

 

そして無遅刻無欠席人生・優等生から脱落することになりました。

 

優等生であることがただ一つの支えであった筈なのに・・・・。

その杖を外されたら、もう立っていることさえできないのに・・・・。

 

 

寄る辺なく、罪悪感と自己嫌悪感と焦燥感だけに

絡め取られて、ますます身動きが取れなくなりました。

元の苦悩そのものよりも

正解に向かって何も行動をとれない自分に対しての苦しみの方が膨らんで

死ぬ思いでした。

 

取り組んだメソッドそのものは、みな大変に優れていました。

貴重な教えがあり、氣づきが与えられ

ありがたい学びを得ました。

 

だからこそ、動けなくなった自分を呪いました。

 

・・・・・・・

 

ところが、今、その頃のことを振り返ると

とても「いい時間」だったのだと感じるのです。

 

私が、【自分の心に、従う】ことを思い出し始めた

そんな大切な時期だったのではないか、と。

 

【心に従う】ということがどういうことであるのか

明確に言葉にすることが今の私にもうまくできませんが

人の心は、思考を超える次元にあるものなのだ、と

観念するしかないのだ、という想いが強くします。

 

  • 何が何でも出された課題はこなすのだ、という生き方
  • 他者から「よくできました」と評価されることだけが生きる指針である生き方
  • 自分にムチ打って外からの教えに従う生き方
  • 自分のダメなところを直そうとするだけの生き方
  • 頑なに、満足を拒否する生き方

 

それにかじりついて生きてきた私のやり方が

もう意志の力ではどうしようもなく行き詰ってしまい

「これ以上、この生き方は続いていかれませんよ」と

私に思い知らせてくれたのは

他ならぬ、私自身の心だったのです。

 

今までの生き方ができなくなり、捨てること

それはすなわち、それまでの自分が死ぬことなのです。

死は、ツラいです。

悲しいです。

苦しいです。

寂しいです。

 

けれど、そのツラさも悲しみも苦しみも寂しさも

いずれ過去のものになる時が来ます。

 

その時、新たな自分が誕生していたことに

ふと氣づきます。

 

その時の為に、どんなにツラい新たな苦しみが生じようとも

心に逆らうことができなくなる時期があるのだと思うのです。


 

苦悩を消し去る為の正攻法があるとして

最適・最善・最速な解決法があるとして

それを知ったからと言って、そこへ自分を当てはめられるか?

 

私自身の経験からわかったのは

残念ながら、それは無理だった、ということです。

 

心は、思考から生まれた方法論で動いてくれるものでは、ない

ようです。

 

学べば学ぶほど、自分の心というものが

すべてを知っているものであることに

驚いています。

 

だから、外を探していた時には全く見えなかった

いくらいいメソッドに出会っても

何も解決しなかったのです。

 

そう、ただ一つの最適解というものがあったのだとして

それを知っていたのは、自分の中にある「心」だけだったから。

 

私の心も

あなたの心も

知っている

どうしたらいいのか、を。

どう生きたいのか、を。

 

だからこそ、苦しみというメッセージを送ってくる

問題という現象を生み出して見せてくる

 

私はね、本当は、こうしたいの

本当は、こう、生きていきたいの

 

そう心が訴えかけてくる

その本当の心=本心に自分自身で氣づくとき

心はふっと緊張を緩め

新たな生き方へとゆっくり歩を出す準備を始めます。

 

 

そんな長い長い流れを遡って

少し高いところに上ったつもりで全体を眺めてみると

最初にあった、あの何としてでも解消したかった苦悩は

新たな自分の生き方に氣づかせてくれるために起こった

貴重なきっかけの一粒のタネであったように

思われてきます。

 

 

心というものを扱っていくと

しばしば非常に逆説的な現象に出くわします。

 

今でもその都度、狼狽していますけれど・・・・

 

 

 

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