たびたび似たような経験をします。

 

よく耳にし、口にしてもいた「言葉」が

時として、まったく違う光彩を放ちつつ

自分の心の底から発生してくる、という経験です。

 

さまざまな場面で実感される「言葉の限界」について

感じていることを書いてみます。

 

声楽を指導する場合

(或いは、私自身がレッスンを受ける時も同じですが)

声は目に見えないものですし

しかも「楽器」本体が、身体の内部に存在するため

自分の声というのは、客観的に聴くことのできない

仕組みになっているので

どうしても感覚的な言葉が飛び交います。

 

「~のような感じ」

「~するときの感じ」

「~というイメージ」

「~するつもりで」

 

身体的な感覚を、言葉にして伝えようとするとき

どうしてもこんなふうな抽象的、感覚的な言葉に

なってしまうんですよね。

 

それがヒントになって、色々やってみているうちに

「あ、今の!それがいい」というのが出てきて

「そうか、そうか、こういう感じがいいのか」とわかっていく

この“色々やってみて”の過程が「練習」であり

「そうか、そうか」を味わうことが「上達」なのだと思います。

 

とっても具体的と思える事柄・・・・

例えば「喉の奥を広く」という表現一つにしても

 

喉の奥って、どこ?口の突き当り??

広げるって、どうやって?

あくびみたいに?(それって、大口開けるってこと?)

息を吸い込んでみる?
はっ!!と驚いた時のように?

力を入れて開け広げる?

いや、反対に力が入っちゃ開かない?

口の奥に空気をはらむみたいに?

 

実際に、声楽的に言うところの「喉を開く」ということが

理解される(身体が理解する)には

すんなりといく場合は、むしろすごく少ないのです。

(ここでネタバラシすると、実際は

「喉を開ける」からうまくいくというより

うまくいったとき「喉は勝手に開く」感じがする

というのに限りなく近いです)

 

さまざまな表現が使われ

あーでもない、こーでもないとしているうちに

「喉の奥を広く」なんていうことからすっかり離れて

全然意識していないような時に

レッスンをしている側、受けている側双方同時に

「あっ!」という瞬間が訪れることがあります。

 

その時の感覚が実に面白可笑しいのです。

 

ある生徒さん(もう私の所に通われて20年以上!)には

歌おうとすると、ギュッと喉を閉めてしまう癖のようなものがあって

それを何とか違う反応に置き換えられないか

私は20年間、それを思ってきたし、伝えてきました。

 

「喉の奥は狭め絞るのではなく、大きく広く、広がる感じよ」

 

もう彼女の耳にはタコができていたと思いますし

私も20年言い続けて、ちょっと疲れてきてもいました。

 

そんなある日のレッスンで

全然別のことを念頭に置いて歌っていた時

ひょっとした拍子に「うわっ!」というほど良い声が出たのです。

 

彼女と私は目を合わせて「今のだね!」って喜びました。

 

そうして彼女の口から出た言葉は

「先生!発見しました。“喉の奥を広げ”ればいいんですよ!」

って(笑)

 

20年間、耳にタコができるほど聞いていた筈のフレーズを

彼女が実感を持って体現した時に

それは、彼女の中で、聞いてきた言葉とは

まったく違った意味をなしたのです。

 

それは、外部から「教えられ」たことではなく

彼女自身の中から「生まれた」言葉だったからです。

 

書いても、読んでも、言っても

言葉自体は同じですが

まるっきり意味が違って見える。

 

これが、頭で言葉として理解した、という段階と

本当に身体と心の芯でわかった!いわゆる

「腑に落ちた」という時の感覚の違いだと思います。

 

その生徒さんは

自分の口から出た言葉が耳から入ってきて初めて

「あー、これは、先生から

もう20年も言われ続けていたことでしたね」(苦笑)

と氣づかれたようでしたが

 

まぁ、そんなものです(*^-^*)

 

だからと言って、私が言い続けた20年が無駄だった訳ではなく

その言葉が20年の歳月を要して、彼女の腹に落ちていった

と考えるほうが現実に近いのでしょう。

(そう思ったら私の氣分も救われます笑)

 

 

声楽でも、こんなふう。

カウンセリングという、人の心が扱われる場では尚更です。

 

私が高橋先生のクライアントであった頃

上記のエピソードとよく似た経験をしました。

 

先生のすべてのご著書を何度も読み返し

ほとんど暗記するくらい読み込んでいた私でしたが

カウンセリングを受け続けて、心がある段階に辿り着いた時

「あー、私には“罰が当たる”ことに対する大きな恐怖がある!」と

その恐怖がはっきりくっきりと目の前に見えた瞬間がありました。

 

そこで、高橋先生との面談で息せき切って

さも大発見したかのように(笑)

「私、いつも“罰が当たる”って思ってるんです!」と言った途端

高橋先生のご著書の中で「罰が当たる」というフレーズを

幾度となく目にしていたことに氣づきました。

 

何か自分の回復に繋がるヒントがある筈だ、と期待して

目を皿のようにして、脳みそ全開で読んでいた時に

言葉として理解し、記憶に残っていた「罰が当たる」という

そのフレーズが、自分の中から生まれ出たときには

読んだそれとはまったくの別物だった

私のオリジナルそのものでした。

 

 

「言葉」って、本当に面白く、不思議なものです。

 

カウンセリングの場では、私の方からクライアントさんに

発言することはほとんど必要ないのです。

 

それは、その「場」が共有されている為

言葉で伝える必要のない、言葉よりもっと確かなものが

クライアント・カウンセラーの間を媒介しているからです。

要するに「言葉」を使わなくても、大切な伝達が十分行えます。

 

カウンセラーは(高橋先生が私にしてくださったように)

クライアントさんの中から「オリジナルの言葉」が

自然発生するのを、ただ待っている。

 

それは、カウンセラーが先に見えて分かっていたとしても

そして、先回りしてクライアントさんに伝えたとしても

意味のないことなのです。

クライアント自身から生まれなければ、意味をなさない

「オリジナルな言葉」です。

 

そうして、過去の私自身、さまざまな「オリジナルな言葉」が

自分の心の底から泡がプクリ、・・・・プクリ、と

浮かび上がってくるように、自分の口から出てきて

それを高橋先生に受容されることで、回復していきました。

 

それは、実に氣長な道程でした。

時には、何もご自分から言って下さらない高橋先生に

「何かー、何か言って下さい!教えてください!」という

もうほとんど苦し紛れの文句めいた氣持ちになりましたが

 

こういった心の仕組みを熟知されている高橋先生は

やはり何もおっしゃってはくださらなかったです。

 

今、「受容だけのカウンセリングはツラいです」という

クライアントさんの声を度々聴きます。

 

それでもなお、やはりカウンセラーは“何かを教え示す”存在では

ないのだな、とつくづく思うのです。

 

 

一方、自分から湧き上がる「オリジナルな言葉」には

物凄いチカラがあります。

そのたった一つの言葉が、自分の中に見つかることで

生き方すべてが好転し始める、という場合さえあるほどに!

 

 

あるとき、もう私がカウンセラーになってから

高橋先生のスーパービジョンを受けた、その最後の方で

 

「適切な言葉が自分から出てくるからね

それを待ちなさいよ。

その時、とても変わらないように思えていた

自分や、現状や、環境さえも

自動的、且つ、とっても論理的に、変わるからね」

 

と言って下さったことが、今の私の宝です。

 

そう、言葉には、限界もあるけれど

とてつもなく大きな可能性も、また有していると思うのです。

 

今、私がこのブログを書いているとき

或いはメールレターを書いているとき

伝えられるのは「言葉」だけであるかのようです。

 

もしかすると、読んでくださっている方へ

何らかのヒントになることがあるかもしれない

私の書く「言葉」から何らかの意味を受け取って

自分の中に取り込んでくださる方がいるかもしれない

 

それは、私の意図とはまったく違った意味を

その方の中では、なしているかもしれない

 

しかし、それはもう私の手を放れた言葉たちです。

 

私の「言葉」から、文字面以上の何かが伝わることも

私の予想を超えて起こり得るのかもしれません。

 

ちょっと怖くもあるとともに

人の心が反応する、あるいは言葉が心に作用する様に

強い興味を感じることを禁じえません。

 

 

 

古い「思い込み」の解除

「習慣」の書き換えの

具体的な手法を知ってみたい方は・・・

 

☆無料メールレター☆

【今すぐ始めて一歩ずつ

 不都合な習慣を書き換え、人生を変える】

 

ご登録は⇒コチラから(*^-^*)

 

 

 

 

 

 

 


 

AD