私も猫を飼っていまして

猫好きとしましてはこういった光景はいくら眺めていても

飽きません( *´艸`) 

 

似たような映像はYouTubeにはたくさんupされていますし

Facebookでも面白猫動画として流れてきます。

 

どれを見ていても思うのですが

コレ、人間同士だったら絶対どちらかがキレてしまうだろうな、と。

 

こんなに延々と繰り返されるごはんの取り合いですが

猫さんたちが集中しているのはごはんそのものであり

邪魔して奪っていく相手猫ではないのですよね。

 

「おめー!いーかげんにせーよ!むかっ」って怒って

猫パーンチ!とか、しないんですね(笑)

 

その「ごはんが欲しい!」という欲求の“ブレなさ”に

敬服さえしてしまいます。

 

 

人が何かを欲した時

それを横から奪っていく、あるいは

願望成就を妨げる、邪魔をしてくる他者が現れた場合

 

欲しかったもの、願望そのものより

むしろ邪魔をしてくる他者の方に氣が向いてしまうことが

多くはないでしょうか?

 

そこに湧いてくる感情は

「怒り」であったり「口惜しさ」であったり

「哀しみ」であったり「憎しみ」であったりするかもしれません。

 

邪魔された、厭な感じだ、ショックだ、というふうに感じ

そこに捕われてしまうのは

人間が猫より高い知能を持っているからだろうと

私は考えます。

 

自分が欲しいと思っているものを手に入れようとするのに

それが叶わない時

邪魔をしてくる者、横から奪っていく者があれば

それを「コイツがいるからだ!」と認識

欲求が叶わないこととの因果関係を割り出し

記憶します。

 

そして、その原因を分析します。

 

自分は敵意を持たれている?

嫌われている?

懲らしめられている?

バカにされている?

奪われて当然と軽視されている?

自分が至らないから?

 

色々と推測してしまうのです。

 

これらの能力は、おそらく猫には備わっていないのでしょう。

 

そんな高い知能を持った私たち人間が

繰り返し、欲しいものが与えられない経験をすれば

その度ごとに同じ手順をふむことを省いて

(手順省略も人間の持つ能力の一つなのかもしれませんね)

条件反射的に感情が発生し

考えるよりも前に、感じてしまうということが起こるようです。

 

怒りや、憎しみや、恨みを。

哀しみや、諦めや、落胆や、自責を。

 

それらのいわば「インプットされた一連の感情」は

無意識下で常に稼働可能な状態になり得るのです。

 

そんな時、意識はもともとの欲求から離れてしまい

思い出しもしない場合があります。

 

これが欲しかった!

・・・・でも手に入らなかった

 

だから「哀しかったのだ」

だから「口惜しかったのだ」

だから「恨んだのだ」

だから「自分の何がいけないのだろう?と責めたのだ」

だから「諦めたのだ」と。

 

もともとの欲求を

欲して手に入らなかったものを

思い出してみるという作業を

私たちは「してみる必要」を感じる時があるように思います。

 

とうの昔に、その欲求は諦めの彼方に

消え去ったかのように見えたとしても。

 

意識が届く範囲の記憶からは

すっかり消去されてしまったように思われたとしても。

 

現在、私たちが度々感じては苦しくなる感情は

その元にあって叶わなかった欲求にたち返りたい!という

大切なサインかもしれません。

 

 

 

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