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レオナルド・ダ・ヴィンチ「聖ヒエロニムス」 1480~82年頃 板 油彩 103x75㎝ ヴァチカン美術館蔵
1452~1519


ダ・ヴィンチの背景

ダ・ヴィンチの作と言われているタブロー(多くが未完成ですが)のうち、3、4点の作品の背景が黒塗りにされている以外、すべての作品の背景に切り立った山が描かれています。

この作品も左上に中国の水墨画で描かれたような岩山が描かれています。

ダ・ヴィンチの最初の油彩画と言われている「キリストの洗礼」にも背景に岩山が描かれているので、実際にフィレンツェにはこの様な山があるのでしょうか?

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/d2/43/haru21012000/folder/236287/img_236287_59763016_26?1272955169.jpg
15世紀後半のフィレンツェの景観図

当時のフィレンツェの景観図を見ると山はあることはあるのですが、ダ・ヴィンチが描いているような切り立った山は見えません。

ダ・ヴィンチの描いた背景はダ・ヴィンチの想像上の風景で実際にはこの様な風景はなかったのではないでしょうか。

何故、ダ・ヴィンチは殆どの作品の背景に切り立った山を描いたのでしょうか?

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/d2/43/haru21012000/folder/236287/img_236287_59763016_28?1272960601.jpg
牧谿「漁村夕照図」 国宝 南宋時代 根津美術館蔵

ダ・ヴィンチが中国の山水画を見ていたのかは分かりませんが、上の牧谿の山水画を見ていると、他の中国の山水図の殆どがそうなんですが、空気遠近法で描かれていて、遠くに行くほど霞んで見えるように描いています。

牧谿は南宋時代の画家(12、13世紀頃)でダ・ヴィンチよりもかない前に空気遠近法で描いていたことになります。

もしもダ・ヴィンチが山水画を見ていたとしたら、まだ天動説の時代で、地球の果ての山(中国の山)を描くことによりどこまでも続く果てしない空間を描こうとしたのかもしれません。

因みにダ・ヴィンチの「聖ヒエロニムス」ですが、ドラマティックな運命を辿り、18世紀、ヴァチカン宮から売りに出されたこの絵は、スイスの女性画家カウフマンに購入され、彼女の死後、この絵は行方不明になり、これを発見したのがナポレオンの叔父フェッシュ枢機卿が、ローマの古物商で箱の蓋に使われていた下部の部分を見つけた。残りを探し求めたところ、靴屋の椅子のカバーに使われていた聖者の頭部を発見したという。5分割にされていた作品に修復が施されたが、今も成人の顔の周りなどに、切断された傷跡が生々しく見ることができる。

私はこの作品をかない前に実際に見たのですが、当時の記憶として、かなりの薄塗りで描かれ、痛みが酷いと感じた事と本当に未完成だと思った記憶があります。