イメージ 1

フェルディナン・ヴィクトル・ウジェーヌ・ドラクロワ「竜と戦う聖ジョルジュ」1847年 28x36㎝ ルーブル美術館蔵
1798~1863(フランス)

               竜とドラゴン

東洋では、竜と言えばギョロ目で角があり蛇に手足がある想像上の生き物をイメージしますが、

西洋の竜(ドラゴン)は、トカゲに似た化物で、鋭い爪と牙を持ち、多くは翼をそなえ空を飛ぶことができ、しばしば口や鼻から炎や毒の息を吐く。

西洋の竜(ドラゴン)が描かれた作品を見ると、殆どが人間と戦っている場面が描かれますが、東洋の竜が描かれた作品には戦いの場面はなく、西洋では竜は敵とみなし、東洋では神獣・霊獣であり、十二支にも含まれているくらいなので親しみを持った想像上の生き物なのでしょう。
自然を征服しようと考える狩猟民族と自然との共存を考える農耕民族との違いが、竜の捉え方や考え方の違いに出ているのでしょう。

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/d2/43/haru21012000/folder/236287/img_236287_59763016_16?1263694418.jpg

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/d2/43/haru21012000/folder/236287/img_236287_59763016_17?1263711153.jpg

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/d2/43/haru21012000/folder/236287/img_236287_59763016_18?1263807314.jpg

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/d2/43/haru21012000/folder/236287/img_236287_59763016_19?1263807314.jpg]
陳容「九竜図」部分 南宋 淳祐4年(1244年)ボストン美術館蔵

このドラクロワ「竜と戦う聖ジョルジュ」の物語の粗筋は「ウィキペディア」からの抜粋を読んでください。
「ゲオルギウス」フランス読みで「ジョルジュ」になりイギリス読みで「ジョージ」になります。

『 竜の奇跡 [編集]

伝説の成立は11世紀から12世紀頃のグルジアといわれる。

カッパドキアのセルビオス(Selbios)王の首府ラシア(Lasia)付近に、毒気は振りまく、人には咬み付く、という巨大な悪竜がいた。人々は、毎日2匹ずつの羊を生け贄にすることで、何とかその災厄から逃れることとなったのだが、それが通用するのはそんなに長い時間のことではなかった。羊を全て捧げてしまった人々は、とうとう、人間を生け贄として差し出すこととなった。そのくじに当たったのは、偶然にも王様の娘であった。王は城中の宝石を差し出すことで逃れようとしたが、もちろんそんなもので誤魔化せるはずはなかった、かわりに8日間の猶予を得た。

そこにゲオルギウスが通りかかった。彼は毒竜の話を聞き「よし、私が助けてあげましょう」と出掛けていった。

ゲオルギウスは生贄の行列の先にたち、竜に対峙した。竜は毒の息を吐いてゲオルギウスを殺そうとしたが開いた口に槍を刺されて倒れた。ゲオルギウスは姫の帯を借り、それを竜の首に付けて犬か馬のように村まで連れてきてしまった。大騒ぎになったところで、ゲオルギウスは言い放った。

「キリスト教徒になると約束しなさい。そうしたら、この竜を殺してあげましょう」

こうして、異教の村はキリスト教の教えを受け入れた。
殉教 [編集]

ゲオルギウスはキリスト教を嫌う異教徒の王に捕らえられ、鞭打ち・刃のついた車輪での磔、煮えたぎった鉛での釜茹でなどの拷問を受けるが、神の加護によって無事であった。

王は異教の神殿でゲオルギウスに棄教を迫るが、ゲオルギウスの祈りによって神殿は倒壊する。しかも、王妃までもがゲオルギウスの信念に打たれキリスト教に改宗しようとしたため、自尊心を傷つけられた王は怒りに駆られた。

王妃は夫であった王の命令によりゲオルギウスの目の前で見せしめとして惨殺されるが、死の間際「私は洗礼を受けておりません」と訴えた。ゲオルギウスが王妃の信仰の厚さを祝福し「妹よ、貴方が今流すその血が洗礼となるのです」と答えると、天国を約束された王妃は満足げに息を引き取ったと言う。

ゲオルギウス本人も斬首され、殉教者となった。』

因みに、ドラクロワのこの作品「竜と戦う聖ジョルジュ」は『私がトマに400フランで売り、それが2200フランで売れたそうだ』とドラクロワが書き帰しています。