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ジョーゼフ・マロード・ウイリアム・ターナー「雨、蒸気、速度」1844年 91x122cm ロンドン、ナショナル・ギャラリー蔵
1775~1851(ロンドン)

             生まれた国が悪いのか、それとも早く生まれすぎたのか

ターナーは1775年4月23日ロンドンのコヴェント・ガーデンに生まれる。

ターナーがこの作品が描いたのが1844年、モネが印象派の記念碑的作品「印象・日の出」を描いたのが1873年。

29年も前に形より光と色彩を重視したモネから始まった印象派的作品がターナーによって描かれています。

この絵で描かれているのは産業革命の象徴的乗り物蒸気機関車が描かれています。

印象派の新しさは光と色彩を重んじた事と絵の題材が宗教画や神話ではなく、その時代の生の姿を描いたことでまさに絵画の革命だったのですが、ターナーはすでに29年も前にその考えで作品を描いています。

では何故ターナーを基に印象派が発展しなかったのか。

産業革命はイギリスが先行してましたが、芸術分野、特に絵画ではフランスが中心で今まで多くの重要な画家はフランスから生まれていました。

今まで経済が発展したところが芸術の都でした。

当然イギリスの産業革命があってターナーのような画家が生まれたのでしょうが、やはりまだまだ中心はフランス、パリで、イギリス、ロンドンとは芸術の歴史から画家の層の厚み、文化の厚みが違って、パリで生まれたモネが絵画の革命児として印象派をリードして、若い芸術家が後を継いでいきます。

でもこの作品を見てみるとモネがターナーのこの作品「雨、蒸気、速度」を見ていて、「印象・日の出」を描いたのではないかと思われるほど、モネの「印象・日の出」の中で描かれている産業革命の象徴の煙の出てる煙突や船などを霞かかった描いていて、印象が似ています。


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