王様に側室の話をした翌朝。



常ならば、王太后様——王様の母上様へ、王様と連れ立って朝のご挨拶に伺うところ……


康安殿(カンアンデン)へ王様をお訪ねすると、今朝は既に、朝儀の為に宣仁殿(ソニンデン)へ行かれた後だった。


「何と?こんなに早くからご政務に出られただと??」


わたくしの代わりに声を上げたチェ尚宮に、留守を預かる内官が、おおいに狼狽えている。


「よい、チェ尚宮。王様はお忙しいのだ。王太后様の御座所へ参ろう」

「はい…王妃様……」



ところが、お訪ねした王太后様は、何やらお顔の色が優れないようにお見受けして——


もしや、王様がご政務の前に、おひとりでご挨拶にいらっしゃったのでは、と申し上げると、


「いいえ、今朝はお見えではありません。昨夜はいらっしゃいましたけれど」

「え……?」


王太后様は、瞠目するわたくしを、じ…と、ご覧になり、はぁ…と、大きく息を吐かれた。


続けて、


「王妃は一体、王様へ何と進言したのです?何故、私が王様から叱責を受けねばならぬのですか」

「叱責とは……どういう事でございますか?昨夜、王様が母上様のところに?」


そうですよ…と、王太后様は、再度溜め息で眉を顰められる。


「昨夜、私が寝入ろうとしていたところ、王様が前触れなくお出でになって……随分と憤っておいででした。深酒でもされたのかと思いましたが……違ったようですね、王妃」

「左様な事が……実は昨夜、側室をお持ちいただきたいと、王様に申し上げました」

「やはりそうでしたか。王様が私に何と言われたか、知っていますか?」

「いいえ……」

「“余の妻は王妃ただひとり。余の子を成すのも王妃だけ故、口出しは無用”、と。母に向かって大きな声で。言うだけ言うて、言い捨てて行かれました」

「………」

「側室の件は、其方が王様を説き伏せると言うたに……何故、この母が怒鳴られるのでしょう」

「申し訳ございません。王様には何としてもご納得いただきますので、どうかご容赦くださいませ」



やれやれ……


王太后様は、こめかみを押さえながら、首を小さく左右にされて、静かに続けられる。


「王様が王妃を大切にされている事は重々。ですが、世継ぎが必要な事は、王様とてお分かりのはず。昨年流れてしまったのは、残念な事だったが……それはそれ。王妃もよく分かっているでしょう」

「はい。承知しております」

「故に側室の事、王妃から言い出してくれて、何よりだと思っているのですよ。私だとて、言いにくい事もあるのですからね」

「はい……」

「それから、全て任せると言いましたが、側室には高麗の両班の娘を。くれぐれも、元国から呼び寄せようなどと、思わないように」

「はい、心得てございます」

「気が進まぬだろうが、これも王妃の務め。頼みましたよ」


はい…と、わたくしが小さく返事をすると、もう下がりなさい。寝不足で気分が優れぬわ……と、母上様が再び溜め息を吐かれた。



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「チェ尚宮。王太后様が随分お疲れのようだ。何か口当たりの良いものをお持ちするように」

「はい、王妃様」

「それから……朝儀が終わったら、左政丞(チャジョンスン)を…イ・ジェヒョンを呼んでおくれ」


王太后様のところからの戻り道。

足を止めた王妃様が、私を振り返っておっしゃった。


もしや……

つぅ、と引っかかるものがあり、思わず問い返してしまう。


「左政丞様を、でございますか?」

「そうだ。このところ、出仕しておらぬ日もあると聞くが……今日は来ておろうか?」

「は、確認いたします」


王妃様は頷かれ、再び前を向いて歩を進められた。


その後ろに付きながら、私…チェ・ウォンスクは唇を噛み締めていた。


王妃様を避けるように、お留守だった王様。

王太后様のご気分優れないご様子。


王様と王妃様の…昨夜の諍いからに相違ないが——


昨夜…いつものように仲睦まじくお過ごしであったお2人が……

私とアン内官も、しばらくは外の廊下で控えていたが、そろそろ失礼して別室で休ませていただこうか、と、したところだった。


突然、王様が険しいお顔で出てこられて——思いもよらない事態に、アン内官は青ざめて後を追い、私は慌てて王妃様の元へ参じた。


しばらくの間、涙に暮れていた王妃様だったが、


「独りにしておくれ……朝までそのままに」


と、それきり後は何もおっしゃらず……


故にそのお言葉通り、私も坤成殿(コンソンデン)を出るより他なかったのだが——



私はすぐさまアン内官を訪ね、事の仔細を聞いた。


アン内官の見聞きした事によると、坤成殿を出られた王様は、その足で王太后様の御座所へ向かわれ……周りが止めるのも間に合わぬ勢いで、お怒りになられたという。



王妃様が泣きながら溢されていた「王様に言わねばならなかった事」というのは……ご側室の件であったか……



お世継ぎをもうける為、王様へご側室を——


そのような話が、重臣達から上がってくる事は、今までに何度もあった。当然、王妃様のお耳にも入っていた。


ご自身は妊活を続けながらも、お悩みであった事も知っている。


王妃様のお立場であれば、王様へご側室を勧めるのも……



「致し方なし……ではあるのだがな」


思わず呟いた私に、アン内官も大きく頷いて、


「そうなのです。ですが、王様がどれ程、王妃様を大切にされていらっしゃるか。王妃様がどれ程……ずっと間近で見てきた我々です……あまりにも、あまりにも辛く……ううぅ」



存外涙もろい…それ以上言葉にならず、アン内官は項垂れ、袖で顔を覆っていた。