お薄四十八手 八服
よく本物を育てたければ、本物以外は視せるなという話を聴く。あれは本当は視るのではなく、触るの間違いだとはおもうのだけれども、本物に触れつづけていると、人間というのは不可思議なもので偽りの一流というものを視ぬくようになる。ところが、贋物がわかるようになったからと云って慢心していると、半年もすれば人間はまた贋物が一流だとおもうようになってしまう。要は、眼がくもり、肌がぶれるのである。今月にはいって、私は違和感ばかりがでるようになってしまった。
今の自分が感覚的にブレているのはわかっているのだけれども、そのブレがなかなかなおらないので、困っていた。否、困っていたというのは嘘で、失敗するってわかっていながら、そのままやりはじめ、やはり上手くいかない時間を愉しんでいたのかもしれない。草臥(くたび)れているだけだったらよい。しかし、この違和感は困ると半月近く過ごしていたわけである。野口晴哉は、
人間を分析しますと、鉄が何グラム、マンガンが何グラム、銅が何グラム、水が何グラムということで、昭和32年の計算では34円くらいの物質が集まって構成されているのです
とおっしゃっており、私は内心この34円にもどりたかっただけなのかもしれない。自分の動きを偽りだなあとおもいながら、過日、茶室を訪ねると、やはり点前も違和感だらけであった。何かが違うのは軀がわかるのだけれども、その何かがわからないといったところであろうか。救われたのは、同じ弟子の松井さんが点ててくださった一服である。茶碗は青木木米。火の温度を視聴きし、耳が聴こえなくなり、眼を悪くした江戸時代の陶工のものであった。茶碗の脇を胴と云ったなあとおもいだしながら、そのくびれに自分の胴を同調させてゆくも、どうにも上の違和感がとれない。ほとほと参って、苦笑いをしながらひと口、松井さんの茶を頂戴すると、まことに不可思議なことに第三の眼がカコンと堕ちた。なんだかよくわからない感覚ではあったが、相も変わらず草臥れていたものの、あゝ、これで大丈夫という氣持ちが端然と湧いてきた。
今回は松井さんと木米に救われたかたちになったけれども、そろそろ今までの自分を凡て棄て果てないと、話にならないよということなのかもしれない。
生命線であった耳が聴こえなくなった木米は、どう彷徨って、それをどう持っていったのだろうか。無論、話は訊けないが、彼の茶碗の胴ぶりがある程度、教えてくれるものがある。そもそも茶碗の脇を胴と名づけた日本人は誰であったか。深く感謝したい。お軸は『古松談般若(古松、般若ヲ談ス)』であった。