『高堂巓古 Officia Blog』 -85ページ目

批判四十八手 その十

photo 1.JPGphoto 1.JPG 人間が真の意味で繋がれるのは、下半身同士の場合のみである。無論、エッチな話ではない。上半身というのは近代化によってつくられた産物であり、つまりは頭で考えたとおりの身ができやすい部位になる。云うなれば、脳のエゴに過ぎないのだ。だから、頭で自己啓発すればするほど、その分だけ他人との境界線は心身ともに色濃くなってゆく。ミエをはるのはいつだって上半身。さらに極論を申しあげれば、上半身の代表とも云うべき


眼をあわせて魂が繋がるというのは、どこの国においてもありえない


 ことになる。だから、恋愛下手はドラマの影響で必ず眼と眼をあわせたがる(笑)。そうではなく、肚と肚のあわせ、あるいは臍と臍をあわせる感覚というのが、真の意味での絆になり得るのだ。したがって、眼が東を向けば、臍は西を向くようにできているし、あわてて眼が西を向いても、それと同時に臍は急いで南に向いてしまう。このようなことをつぶさに観察してゆくと、上半身の空氣の読めなさというのは、どうもビッグバンという宇宙論からきているようにおもわれる。つまり、あの宇宙に最初と最後があるのだから、生命にも身体にも、そして私にも最初と最後があるだろうという幻想が上半身をつくっているのだ。逆に云えば、輪廻転生を信じているビックバン論者は、等しく偽善である。ビックバンな上半身&輪廻転生な下半身。これこそが直立歩行をひょいとはじめてしまった人類のカルマに間違いないだろう。くりかえすが、人間がまことになじめるのは、下半身同士の場合のみに限る。無論、エッチな意味ではない。