『カネ』 | 『高堂巓古 Officia Blog』
Tue, January 18, 2011

『カネ』

テーマ:箸やすめ


『庭球四十八手』

 自然とは道理が通っているか否かである。道理があって、流派なし。道理とはカネワリのことである。カネは東洋的絶対美であり、洛書の横の数からうまれた。


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  から九までの数字を ・横・斜めの和が同じになるように並べた姿が洛書である。易以前、あるかなしかの世界があった。0から一へと転化し、天地ができたわけであるが、洛書は地の動きを視るためのものである。陽数(一三七九)が東西南北の四正に、陰数(二四六八)がその間の四維(すみ)に、そして、五が中央の土用にはいる。  


凡(およ)そ数のはじめは一陰一陽によってなり。陽の象(かたち)は円なり、円の径は一であり之を囲みて三なり。陰の象は方なり。方の径は一でもって囲み四なり。

(-参天両地)


よって、陽数には三を、陰数には二をかける。北の一に三をかければ、三。東の三に三をかければ、九。南の九に三をかければ、二十七。十は0であるから、七となる。西の七に三をかければ、二十一。よって北の一となり、時計回りにまわる。終わりとははじまりのはじまりである。また、坤(こん)の二に二をかければ、四。巽(そん)の四に二をかければ、八。艮(ごん)の八に二をかければ、十六。乾(けん)の六に二をかければ、十二。よって坤の二となり、反時計回りにまわる。つまり、地には二方向の回転がある。


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 陽は東の三からのぼり、五をとおり、西の七へとしずむ。その七五三の姿がカネである。小さきものには三ツカネを、京間には五ツカネを、田舎間には七ツカネを用いる。それぞれ四分割、十二分割(五陽六陰のカネとなり、十二。十二支と同じ)、八分割を縦横におこなう。その交点が一から九に於ける立体美である。立体とは割り切れぬもの。カネを自由自在につかい、そして、忘れる。すると、カネからあってくるようになるという。自由自在でカネの上にあること。これが自然である。




 ところで、0とは躯(からだ)はおろか、自分すら必要ないという境地である。そして、悟り とは、0の先を視ることである。陽なければ、闇。闇から物語 ははじまったのかもしれない。

 



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