庭球四十八手 その十五 | 『高堂巓古 Officia Blog』
Thu, January 13, 2011

庭球四十八手 その十五

テーマ:庭球四十八手

 庭球を恋人にみたて、四十八手をお伝えしたく候。




 【第十五手】 球。



 真理とは球体のことである。一点から一点に真下に垂らし 、一点から一点に真横 にひくと□ができる(真)。そこにひとつの力を加えて△にする(行)。そして、絶対的な力でもって○となる(草)。球は円を立体にしたものであろう。割り切れるものではない。角をひとつずつ棄て果てれば、球となる。まだ言葉にしているうちは、角がとれていない証拠である。不立文字。真理 は言葉にした時点で、真理でなくなる。音が鳴れば、 はすでに去っている。

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『庭球四十八手』-photo.JPG  屁みたいな話はやめよう。庭球は球との格闘である。よく対戦相手と戦う方がおられるが、人を視ているうちは、真理が視えてこない。球を視たい。球は真理である。多くの方々が真理を一方向からしかご覧になっていない。眼には利きがあるので、片方の眼で球のひとつの側面を漠然と眺めているだけである。左眼で球の真後ろを視ようとイメジされただけで、あなたのショットは変わり始める。真理をどのように扱うかより前に、真理をどのように視るかが肝要であろう。球に上下左右を視て、そこに角をひとつ つくる。そのような視方が多種多様な回転を生みだし、おもしろみを生むのではないだろうか。時代を切りひらくのはいつだって、真理を視抜く公正な視線とそこに角をひとつ設ける洒落っ氣 である。無論、球のどこに角をつくるとおもしろいかは教えない。今朝はロフトからうっかり堕ち、私は泣き崩れているのである。もはや球なんてどうでもいい……。


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 二三年前、このブログで度々登場していただいているラグビー選手宮下哲朗 さんと、新幹線に乗った。私はお盆に山形で伸筋 合宿をひらいたのであるが、その帰路であった。宮下さんは元全日本選手だけあり、巨躯である。新幹線の車内で、宮下さんが用を足してかえってくると、自動扉がひらいた。宮下さんは意味もなく上眼遣いではいってこられた。あんな岩のような筋肉をしているくせに、ひどく可愛さをアピールしたギャップのある眼の使い方であった。加えて、顔はそれを悟られてはいないだろうという過信で満ちていた。あんな上眼遣いをされたら、色恋は容易であろう。視習わなければならない今日この頃である。






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