庭球四十八手 その六 | 『高堂巓古 Officia Blog』
Thu, December 30, 2010

庭球四十八手 その六

テーマ:庭球四十八手

 庭球を恋人にみたて、四十八手をお伝えしたく候。




 【第六手】 肩胛骨の位置。




 肩胛骨は自由 が故に不自由で、あるべき位置というのをお伝えしにくい。鳥瞰 したとき、肩胛骨は肩と腕の角度を決定する。この角度のイメジを誤解されると、庭球も色恋も上手くいかない。


『庭球四十八手』


 上は『弓をひくヘラクレス』である。無意識にこのようなイメジをされている方が少なからずいらっしゃる。ほぼ肩の延長上に腕があるが、これは庭球に於いてはひき過ぎとなる。巨躯にみえるだけで、美しくない。庭球は常に腕を視界のなかにおさめるべきものである。私には も弓もわからないが、このような狭い肩胛帯でたとえ的にあてたとしても、屁みたいな出来事であろう。庭も弓もそこに到るプロセスが肝要ではなかろうか。




 たしかな肩胛骨は、しなやかな背中(そびら)をつくる。たとえ小柄な方でも、背中は拡がるものである。今、子ども達が大人の背中を視て育たないのは、大人の背中が所詮ヘラクレスどまりだからなのかもしれない。背中は肉でなく、心意氣を宿すところである。私は相も変わらずものぐさで、例の如くたしかな肩胛骨の位置は教えないが、お詫びに或る作品をご紹介しておきたい。X線で写真を撮られているNick Veasey 氏の一枚である。


『庭球四十八手』


新聞を肩の高さで読むとき、その肩胛骨の位置はたしかである。さらに申し上げると、上の新聞紙に於ける左右の辺は、打点 の集合体となる。つまり、この辺の上で球や人を捉えることができれば、最も力が抜けた情態で外界に接することができるのである。




 太古、物事には在るべき位置というものがあった。時が移ろうにつれ、人はそこから外れて動く習慣がついてしまったのかもしれない。外れるから力み、また外れる。私どもが勉強すべきことは、今の時代だからこそ新聞であろう。新聞は肩の高さで拡げるだけで、読まなくてよい。その背中を子どもが視てちゃっかり育ち、異性が視てうっかり惚れてしまうのである。






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