『花』 | 『高堂巓古 Officia Blog』
Mon, December 27, 2010

『花』

テーマ:箸やすめ

 花は咲くものであり、咲かせるものではない。言うまでもなく、後者には衒(てら)い があり、勁(つよ)さがない。花を咲かせようとする姿勢は、強くなり得ても、勁さとは関係ないのではなかろうか。花は散るから美しい。『あだし野』に藤がでてくる一場がある。枯れる前の年の秋に花を咲かせた二度咲きの藤で、透明だったという。




 過日、『いとし藤』なるものを教えていただいた。「今の銀座は、山東京伝による」と或る文化人類学者に言わしめた男の藤であった。十の「い」と の「し」で構成され、計二十一筆の花が咲いていたようにおもう。花は澄んでいた。或る種の洒落っ氣によって、強さが勁さに転じるのだろうか。衒いの生臭さがなかった。


      『庭球四十八手』           『庭球四十八手』



 ところで、西洋の花といえば花束がある。花々を集積しながら、晩年に花が咲く散歩である。『メランコリアⅠ』に、どれだけ無数の花が散りばめられているのか無論わからないが、私にはすこし美しすぎた。どちらかというと、杖に恃(たの)まず球の上に立つ女性画の方がよかった。背中が素朴であった。一方、花は一輪でよいという視線は日本にある。棄て果てたあとに残る静寂 への帰路である。洋服には花束が、着物には一輪がやはり似合うのかもしれない。凡て愛しく視るのが洋であり、ひとつ愛しく視るのが和である。三十三の顔を持つ男と言われている山東京伝 であるが、実はひとつのものを愛でていただけではないのだろうかと、昨晩、盛り上がった次第だ。




 色々語ってきたものの、束であろうが一であろうが、どうもひらく瞬間のみが花は花であるらしい。


 





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