神(利他)をもって

道(タオ・自我『利己心』)を相殺す


神とは命の根源である心の根(ネ)を

御救い(申)す者です


神とは鏡(かがみ)に映った自分から

我(が)を取り除いた者


我(自我・エゴ・利己心・煩悩)


相殺は道(タオ・自我)を打ち消すということです。

相対する万有の生命は神の産物です。蔑ろにしてよいものなど一つもありません。自分の身体も神の産物です。神様からの預かり物です。大切にしてくださいね。


道(タオ)の働きが、自我を植え付けて、命ある者同士を互いに憎しみ合わせ殺し合わせます。考えてみて下さい。貴方が嫌って虐めている人を見てください。目も鼻も口も手も足も貴方は何一つ創ることは出来ません。その存在の全てをつくるものは神の働きです。苦手な会社の上司。思い通りに動かない腹が立つ部下。皆、全て神の産物なんですよ。それら全てを貴方は何一つ創り出すことは出来ません。こんな何の役にも立たない者を創りやがっているだけ無駄、邪魔だと神様に喧嘩を売っているんですね。向き合う命は全てが神の産物です。くだらない存在しない方がマシと蔑ろにさせるのが道(タオ・自我)です。他の命を蔑ろにした結果、悪い運命を得る訳です。運命は誰も選びません。その運命を選んで来たのは自分自身です。自己の運命改善と自己の救済は利他です。何度も申し上げますが、利己は道(タオ)が誘導する無に還る心。