人はそれぞれ住んでいる国から世界を見るものだ。アメリカ人から見た中東と中東に人から見たアメリカにはすごいギャプがあるように、僕が日本にいた頃に見ていたイタリアと実際のその国の現状は違うものの、その逆イタリア人がから見た日本の比べると我々はあちらについて正しく理解している。

そこには外国に対しての関心の違い、情報量の違いなどもある。
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イタリアの街角にはEDICOLA、日本で言うキオスクがあり、本来は新聞スタンド📰🗞だが、雑誌、マンガ本、バス地下鉄のチケットも大体のところで扱っている。日本では当たり前になっているコンビニ🏪がないかわりに街角に必ず見つかるBARと共に便利な萬屋の役割をしている。

僕がイタリアにやって来た90年代にミラノの中央駅やローマのテルミニ駅のキオスクの店のガラス越しに東洋の神秘を学ぶと言うような本がやたらと並んでいた。

SHIATSU, DO-IN(導引)、REIKI(霊気), FEN SHUI(風水)、TAI  CHI CHUAN (太極拳)、KUNG FU (カンフー)、AYURVEDA、YOGA とこのようにごちゃ混ぜだ。

27年住んでみて、オリエンテ(東洋)やアジアを一括りにみられるのでなく、やはり「日本」を知ってもらわないと日本人のアイデンティティを踏み躙られてしまうのに気づき、日本文化協会を立ち上げて、と同時に巷で売られているこれらの本は積極的に買って読んだ。
おかげで日本の文化の周辺のことまで知ることができた。
気がついたら本箱いっぱいに東洋関係の本が溢れて、今はもうずっとやっていないことなど読まない本から処分しているときに気がついたのであるある。イタリア人達がなぜ東洋をごちゃ混ぜに見てしまうかを。