
昭和14年に小学校3年でラジオで演奏したことや、昭和36年に30歳でベルリン国立音楽学校に留学されたことから計算して、昭和5,6年にお生まれと思います。
お母様がこの時代にベルリンでピアノ留学をされていたことも先進的ですが、お母様の名を「投網子」(トアコ)とお付けになったご両親もすごい感覚です。
当時フジ子さんはバーンスタインの推薦と援助で、華々しくコンサートデビューというとき、残りの左耳の聴覚を失ったけれど、当日の演奏はおこなった。現在でも左耳の聴力は40%までしか回復はしていないという。それでもカーネギーホールをはじめ、国内外のコンサートに魂をそそいで復活は果たされました。
彼女の言葉によると「私の人生はため息ばかり」
でもこんどは「ピアノを通じて、人にため息をつかせたい」とおっしゃる。
犬が1匹、猫が11匹。心のやさしい方です。
ウチは犬が1匹、猫が13匹。でも私は、いまだどれも認知していません。