先週月曜日、我が家の猫ミミちゃん(♀:16歳半)の様子がおかしくなりました。
力んでも
が出ず、舌を出してハッハッと呼吸しています。
触れるのを嫌がるので、ただ見ているしかなく、翌朝、ネットで近所の獣医さんを探して連れて行きました。
(昨年11月に引っ越して、以前の獣医さんへは連れて行けないので)
診察中にちょうどおしっこをしてしまったので尿検査、それから血液検査、レントゲンとひととおり診てもらった結果、腎障害とのことでした。腎機能が低下しているため、水分が尿の方に出すぎてしまい便秘になるようです。また、腰椎のひとつが変形しているので、下半身へ繋がる神経を圧迫している可能性があり、触られるのを嫌がるのだろうとのことでした。
「腎障害を治す方法は?」と聞くと、「一度悪くなると治す方法はない。食事療法などで、悪化するのを防ぐ程度」と言われました。
溜まっている便を出すため浣腸することになり、先生はそのまま入院させることを勧めてくれました。家まで連れ帰る途中で便が出てしまう可能性があることと、状態が急変する可能性があるためだそうです。
でも、気の弱いミミちゃんを知らない場所の狭いゲージに入れる気にどうしてもならず、連れ帰ることにしました。
家についてから便が出て、あちこち汚しましたが、それは拭けば済むことです。
不安だったのは、「状態が急変する=死」でした。
しかも、ミミちゃんは全く眠りません(猫なのに・・・)。
いつもなら口元や耳のあたりを撫でると、私の手にあわせて首を動かしたり目を閉じたりするのに、目をまん丸に開いたまま、ものすごく緊張しています。私は、「いつ”死”がやってくるのだろう」と考えながら、ただ傍にいるしかありませんでした。
翌日も仕事を休んで様子をみることにしましたが、やはり眠りません。
ただ、キャットフードを少し食べたので「大丈夫かも?」と期待しました。
そして、木曜日はどうしても仕事を休むことができず、家を空けることにしました。
仕事帰りの電車の中で「家に帰ったら冷たくなってるんじゃないか?」と思いながら、一昨年失ったモモ(♀:享年14歳半)や去年逝ったピンク(♀:享年14歳半)のことを考えました。
モモやピンクは乳腺腫瘍という病気だったので、通院しながらだんだん死を覚悟していきました。どちらも「今日だ」というのを感じたので、一緒にいて看取ることができました。逝ったときは確かに悲しかったと思います。ひとしきり泣いた後、動物霊園で葬儀をしてもらいました。
でも、今回とはちょっと違う気がしました。
『喪失感』がものすごく強いのです。ペットロスってこういうことなのかもしれない、と少し思いました。
モモやピンクが逝ったときは、まだミミがいました。でも、ミミを失ったら家に帰っても、誰も出迎えてくれない。動くものが全くいなくなる(夫は別として・・・)。「そういうことなのだ」と思いました。
失うことのつらさって言うのは、「自分と相手との関係性を失うつらさ」かもしれません。非常に自己中だと思いますが、私は、3匹の猫達に「家にいて、時々自分に甘えてくれて、抱いたり撫ぜたりできて、癒してくれる存在」を求めていたようです。最後のミミがいなくなることに直面したとき、そういった存在を失うことをつらく感じたのです。
もちろん、また別の猫を飼うこともできますが、この16年半を共に過ごしてきた子はもうどこにもいません。
それでも受け入れていくのだろうと思います。これが猫でなく、家族やパートナーであっても同じですよね。
失うことはつらいけど受け入れる。そして、相手が与えてくれた多くのことに「ありがとう」と言いたい。そんな風に想っていたら、電車の中で涙が出ました。
さて、その後、ミミちゃんは少し回復しました。腰のあたりはまだちょっと心もとないのですが、猫らしく眠るようになり、ご飯も食べ、おしっこも出ています。
があまり出ていないのは心配ですが、頭を撫でると気持ちよさそうに目を閉じたり、頭を手に擦りつけたりします。治ったわけではないので、またいろいろあるかもしれませんが、覚悟はしました。
『己を尽くして、天命を受け入れる』って感じかな(*^.^*)
ミミちゃんが逝く前に、彼女が私にくれたものに感謝することができてよかったです。すでに逝ったモモとピンクにも心から「ありがとう」と言いたい、と思います。