先週の土曜日、NHKで夜「東大の教養」という番組をみました。
タレントの「爆笑問題」と東大の教授が「教養」についてディスカッションするみたいな感じだったけど、途中から見たので、何をしようとしているのかはいまひとつ・・・。
ただ、エンディングで「教養とは・・」って文字がでて、番組の中ででてきた言葉とかが羅列されたのをみて、私の想う「教養」について考えました。
「教養」って言葉から一番に出てくるのは、美内すずえさんの漫画「ガラスの仮面」なんです。
主人公の北島マヤが「ふたりの王女」で王女アルディスを演じるとき、生まれながらの王女が理解できず苦労しているとき、昔アルディスを演じたオペラ歌手のアドバイスを受けます。
そのアドバイスの中で、野の花を見て(このあたり少々うろ覚えの記憶です・・)、「この花の名前はご存知?」とマヤに聞きます。マヤは恥ずかしそうに「知らない」と答えます。
それに対して「花の名前を知っていることは知識です。でも、名前を知らなくても、この花を見て美しいと感じることはできます。その感じる心が教養なんです。」みたいなことを言ったように思います。(かなり怪しい記憶です。本当は漫画喫茶へ行って確認しようと思っていたのだけど、どんどん日が経ってしまうので・・・。私の印象ですから、ご容赦ください。)
実はその頃の私は「雑学好き」で、いろいろ知っていることが人として素晴らしいと思っていました。
華道をやっていたこともあって、花の名前とかを結構知っていて、花を見ると「あ、これは○○」なんて思っていました。
そんな私には衝撃的だったんです!
花を見て、それが美しいとか可愛いとか思う前に、名前が浮かんでしまう自分。
私は知識で花をみていただけで、心で見ていなかったんだと気づき、そのことに愕然となりました。
それからは、意識的に「私はこの花をみて、どう感じてるんだろう?」と自分に確認するようになりました。
もうひとつは、これもコミックなのですが、槇村さとるさんの「おいしい関係」で主人公が麺類を食べる時、音をたててすする場合と音をたてない場合があって、その理由が「一緒に食べている人に合わせている」と言うシーンです。
これは、麺をすすることに不快感を感じる人がいることを知識として知っていることが必要です。でも、スパゲッティだから音をたてないのがマナーと決め付けるのではなく、「相手に合わせる」というのがスゴイと思います。
つまり、まず相手を感じること。そして、より相手を感じ・知るために知識を持つこと。
それが、私の想う「教養」かな。
「教養」って言うと固くて、とっつきにくい言葉だけど、これってコミュニケーションの核ですよね~?
昔の私のように、知識だけのコミュニケーションは表面上うまくいっても、深い関係になるのは難しいです。いつか化けの皮が剥がれる・・・(経験済み)。
その時、その場の相手を感じるのって、とっても難しくて、しょっちゅう失敗するけど、感じられたときは、すっごく嬉しいし楽しい!!
この番組をみて、久々に「相手を感じることの大切さ」を再認識しました。