昭和4年から5年にかけて、前田家16代当主 前田 利為(まえだ としなり)侯爵は、
駒場の約1万坪の敷地に、地上3階地下1階建ての洋館と、これを渡り廊下で結んだ2階建て純日本風の和館とを相次いで竣工させた。
マツ・ケヤキ・イチョウ・シラカシなどうっそうと茂る駒場野の林をそのまま生かした奥庭や芝生の広場。使用人も100人以上いたという前田侯爵邸は、当時東洋一の大邸宅と人々の目を見張らせたものだった。
しかし第2次世界大戦後、連合軍に接収され、第5空軍司令官ホワイトヘッドの官邸となり、マッカーサー元帥を始めとする軍の要人たちの会合や茶会などに使用されたという。
洋館の中庭
洋館の贅沢な作りにも目を見張ったけれど、
総ひのきの内装や、日本画家 横山 大観の師匠であった橋本 雅邦(はしもと がほう)画伯によるふすま絵や、
自然と見事に調和した日本庭園など
日本文化の素晴らしさが随所にちりばめられた和館を観て、日本人であることに誇りすら感じた。
駒場の約1万坪の敷地に、地上3階地下1階建ての洋館と、これを渡り廊下で結んだ2階建て純日本風の和館とを相次いで竣工させた。
マツ・ケヤキ・イチョウ・シラカシなどうっそうと茂る駒場野の林をそのまま生かした奥庭や芝生の広場。使用人も100人以上いたという前田侯爵邸は、当時東洋一の大邸宅と人々の目を見張らせたものだった。
しかし第2次世界大戦後、連合軍に接収され、第5空軍司令官ホワイトヘッドの官邸となり、マッカーサー元帥を始めとする軍の要人たちの会合や茶会などに使用されたという。
洋館の贅沢な作りにも目を見張ったけれど、
総ひのきの内装や、日本画家 横山 大観の師匠であった橋本 雅邦(はしもと がほう)画伯によるふすま絵や、
自然と見事に調和した日本庭園など
日本文化の素晴らしさが随所にちりばめられた和館を観て、日本人であることに誇りすら感じた。