八ヶ山バス停の廃止が意味するもの
http://www.chitetsu.co.jp/bus_a/240401_haisi.pdf
地元紙では既報ですが、地鉄側の正式を発表を待ってお知らせすることにしました。
上記PDFの
(3)に書いてある通り、射水線代行のバス専用道を経由をやめて八ヶ山バス停を廃止。並行する県道富山八尾線を経由することになりました。射水線が廃止代行バスが始まった当時、並行する県道には峠道を思わせる狭く曲がりくねった部分があり、また北陸・高山線と交差する田刈屋(たがりや)踏切は富山県内では「開かずの踏切」として有名な存在でした。そのためバスの定時性を危惧した沿線自治体が路盤を転用して専用ルートを開設を要望したのがバス専用道の始まりです。(専用道の開設が廃止同意の前提条件でした)
朝ラッシュ時の富山方面のバスのみが走る「一方通行」的な道路でもあり、また自家用車の進入を防ぐため公道との交差点には専用道側に遮断機を設置、地元やマニアには「踏切のある道」としても有名でした。
その後、21世紀に入ると田刈屋踏切の改良(アンダーパス化)で専用道の分断が始まり、さらに北陸新幹線の建設で北陸・高山線との立体交差の撤去により桜谷地区以南の道路が機能停止しました。また並行する県道に4車線のバイパス(草島西線)の開通と先述の田刈屋UPと直結することで渋滞を改善されたことで、専用道の役目が終えたと判断されたものと思われます。
さて件の八ヶ山バス停は射水線の旧八ヶ山駅をそのまま転用したもので、バス停周辺には遺構がいたるところに残されています。

写真も雨よけのフードもホームのものがそのまま残されたものです。

県民会館分館内山邸の案内看板です。保存状態が良かったので代行バス時代になってからのものだと思ったら、何と「当駅から徒歩15分」!この状態で30年以上たっているとしたら、奇跡だよ!
今年に入って新湊大橋の開通に何度か触れていますが、その開通に合わせるかのように万葉線の除雪車の引退に、代行バスルートの廃止…偶然の一致と言えばそれまでかもしれませんが、どこかで自分の想像を超える「見えない力」が働いているというのは考え過ぎでしょうか?
地元紙では既報ですが、地鉄側の正式を発表を待ってお知らせすることにしました。
上記PDFの
(3)に書いてある通り、射水線代行のバス専用道を経由をやめて八ヶ山バス停を廃止。並行する県道富山八尾線を経由することになりました。射水線が廃止代行バスが始まった当時、並行する県道には峠道を思わせる狭く曲がりくねった部分があり、また北陸・高山線と交差する田刈屋(たがりや)踏切は富山県内では「開かずの踏切」として有名な存在でした。そのためバスの定時性を危惧した沿線自治体が路盤を転用して専用ルートを開設を要望したのがバス専用道の始まりです。(専用道の開設が廃止同意の前提条件でした)
朝ラッシュ時の富山方面のバスのみが走る「一方通行」的な道路でもあり、また自家用車の進入を防ぐため公道との交差点には専用道側に遮断機を設置、地元やマニアには「踏切のある道」としても有名でした。
その後、21世紀に入ると田刈屋踏切の改良(アンダーパス化)で専用道の分断が始まり、さらに北陸新幹線の建設で北陸・高山線との立体交差の撤去により桜谷地区以南の道路が機能停止しました。また並行する県道に4車線のバイパス(草島西線)の開通と先述の田刈屋UPと直結することで渋滞を改善されたことで、専用道の役目が終えたと判断されたものと思われます。
さて件の八ヶ山バス停は射水線の旧八ヶ山駅をそのまま転用したもので、バス停周辺には遺構がいたるところに残されています。

写真も雨よけのフードもホームのものがそのまま残されたものです。

県民会館分館内山邸の案内看板です。保存状態が良かったので代行バス時代になってからのものだと思ったら、何と「当駅から徒歩15分」!この状態で30年以上たっているとしたら、奇跡だよ!
今年に入って新湊大橋の開通に何度か触れていますが、その開通に合わせるかのように万葉線の除雪車の引退に、代行バスルートの廃止…偶然の一致と言えばそれまでかもしれませんが、どこかで自分の想像を超える「見えない力」が働いているというのは考え過ぎでしょうか?