Toshl 洗脳騒動の真相告白 『中居正広のキンスマスペシャル』 | violet painのブログ

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2014年8月22日放送
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
YOSHIKI「つらい」Toshlが洗脳生活、HIDEさんに自責の念を告白
ロックバンド「X JAPAN」のYOSHIKI(年齢非公表)が22日夜、自身のツイッターを更新。「TVつらくて見てられない」とつぶやいた。同日放送されたTBS「中居正広のキンスマスペシャル」(後7・56~9・48)に出演し、12年間の“洗脳生活”を告白したボーカルのToshl(48)に言及したものとみられる。

 YOSHIKIの午後8時57分のツイートは「TVつらくて見てられない」の一言だけ。だが、Toshlを指していることは明白だ。

 Toshlは12年間に及んだ洗脳生活の苦悩を激白した。

 結婚から2カ月後の1997年4月、元妻に勧められ、バンドを脱退。「自分なんかダメだっていう否定もあったんで。X JAPANのボーカルに値しないっていう。X JAPANの未来のことまでは考えられないというか。自分のことしか考えられなかったです」と振り返った。

 同年9月22日「X JAPAN」が解散を発表する一方、同27日にToshlは元妻に誘われ、3日間の自己啓発セミナーに初参加。その後もセミナーに通い続ける。しかし、1回の受講料は数十年以上。結婚から10カ月にして所持金がほぼ底をついたという。

 同年大みそかの解散コンサート(東京ドーム)。「朝も東京ドームに行くまで(セミナーの主宰者から)恫喝と暴力を受けてから行っていますし。そんな状態の中でステージに立つと、やはり恫喝される時、罵倒される時に言われるような言葉や痛みがフィードバックしてくるような、そんな状況でした。要はX JAPANっていうのは諸悪の根源で、世界中の若者をダメにした最悪なものだと。それがおまえなんだと。その頃になると、かなり言われていましたので」。Toshlがそんな状態のままライブに臨んでいたとは、誰も知る由もなかった。

 98年5月2日、ギターのHIDEさん(享年33)が死去。Toshlは「当然、自分がそこで(バンドを)辞めてなかったら、みんな違う人生がそこにありますので(HIDEさんが)そうはなってなかっただろうなぁという気持ちは、やはりあります」と自責の思いを吐露した。

 同年9月、週刊誌に記事が掲載され、洗脳騒動が表面化。騒動により団体に迷惑を掛けたため「とにかく何でもいいからお金を作らなきゃという気持ち」になり、Toshlは2年間500回以上、全国を回り、主宰者の曲を歌った。

 2004年4月には団体施設で児童が虐待を受けた疑いがあるとして児童相談所に保護されるというニュースが報じられ、被害者から裁判を起こされた。

 06年9月「X JAPAN」再結成の話が持ち上がった。主宰者は契約金3億円を目的に「また(悪の根源と言われた)そこ(X JAPAN)に戻れ、って言われて。そんな簡単にひっくり返っちゃうのかな?って。そこは納得ができなかったです。それまで鉄の壁のように自分で作っていたものに、ポロッて穴があいてしまったみたいな。そういう雰囲気でした」とToshlは主宰者に初の疑問を抱く。

 07年10月「X JAPAN」再結成。しかし、ギャラは主宰者へ。Toshlの生活費は1日500円だった。09年6月、元妻に初の反抗。それは暴力として返ってきた。「何かの学びとかトレーニングだとか、そんなものは全く関係のない世界。彼らの本性というか魂胆というか、性根を見たという感じでしょうか」。そして、ついに逃亡を決意する。

 同年10月、営業のイベント先のリハーサル中に倒れ、病院に運ばれたが、イベントに呼んでくれた会社社長が知人の警察関係者の家にかくまってくれ、逃亡に成功。12年間の洗脳生活は終わりを告げた。10年2月、元妻との離婚が成立した。

 YOSHIKIは一夜明けた23日「実はもっともっと複雑」とも。Toshlやバンドをめぐる激動はオンエアされたもの以上だったことを示唆した。
 
地獄の12年<X JAPAN・Toshl全告白>(4)ファンへの謝罪
ロックバンド・X JAPANのToshl(48)が、1997年から12年間、元妻に誘われた自己啓発セミナーに傾倒し、主宰者と元妻に暴力支配を受けた詳細を、自著「洗脳 地獄の12年からの生還」(講談社)で告白している。08年のX JAPAN再結成後も続いた、酷使と搾取の日々。地獄から生還したToshlがデイリースポーツに、暗黒の日々を赤裸々に明かした。
‐YOSHIKIさんとは幼稚園の時からの幼なじみですね。

 「自分自身は確かに裏に影はあるんですが、やはり2人で10年ぶりに会って飲みながら話したりすると、少し開放的になる。幼稚園のころの話とか、そういう幼なじみのくだらない話っていうのは素直に楽しかったです」

 「その頃から彼はそういう昔話をするようになったんです。以前はカリカリした感じで、そんなことしたことなかったんですが。なにか彼も僕の心をこう開こうとしてくれたのかもしれません。つかの間ですけどリラックスした気分になりましたね」

 (しかし、X JAPAN再結成後も、セミナーによるToshlへの酷使、搾取は続いたという)

 ‐再結成後、YOSHIKIさんからセミナーに関して問われたことはありましたか。

 「それはないですね」

 ‐あえて聞かなかったのでしょうか。

 「そうかもしれないです。何か裏で色んな事を確認をしたり、いろいろ状況を把握してたりはしてたかもしれないんですけれども、面と向かってはなかったですね」

 (09年、ついにToshlは心身ともに限界を越え、営業先で倒れる。そこで知人に救われ、紹介された警察OBだという老紳士の屋敷にかくまわれ、ようやくセミナーからの脱却を果たした)

 ‐最終的に全ての事情をYOSHIKIさんに話したのはいつになるのでしょうか。

 「2010年の1月、ロサンゼルスでミュージックビデオの撮影があったんですが、その場で彼に対して自分は逃げ出してきたんだという話をしました。そしたらYOSHIKIも『自分も色んなことがあったんだよ』と」

 (この撮影を最後にToshlは音楽を辞めようとも考えていたが、YOSHIKIのこの言葉で決意を新たにしたという)

 「もしYOSHIKIがその時まだトラブルを抱えていたら、僕は(その後は)もしかしたら一緒にやらなかったかもしれない。彼も彼なりのことがあった、僕も僕なりのことがあった。なんか偶然なんですけれども、タイミングが一致して。2人とも自分の足で立ってまたやっていこうという時期が同じだったということですね」

 「もうその頃から、彼が色んなことを、元奥さんの話とかも、これまで僕に言えなかったことを素直に伝えるようになりましたね」

 ‐皆さんToshlさんには聞けないことが多かったんでしょう。

 「もう最初(元妻との交際当初)からずっと思ってたみたい。メンバー全員そうなんですけど。YOSHIKIだけじゃなくて周りの方々も皆。僕が中に入っているときは、なかなか言いづらい。僕も逆の立場だったらなかなか言えなかったでしょうしね。夫婦のことですし、なにかおかしいぞって皆感じていながら。皆、もうちょっと早く言ってくれたら…いや、そういう責任は重いですし、言えないですよね」

 ‐ファンを巻き込んだと感じる部分はありますか。

 「ファンの方々を巻き込んで、その団体の中に入れてしまったとか、そういうことは一切ないんですが、ただ自分が主宰者のCDを売り歩き、コンサートのチケットも買っていただいたのは明らかで、そのお金は全部、彼ら(主宰者ら)が楽しい生活をするために使われた。そういうことに加担させてしまったそういう意味では僕は加害者であると思います」

 ‐今後のToshlさんはどうありたいですか。

 「いろんな方々に助けていただき、本当に皆さんのおかげで立ち直ることができました。自分も親の年になってきましたので、この経験をメッセージとして伝えることで、悩める若者たちが1人でも変なものに足をすくわれない、踏み外さないよう、少しでも寄与できたらと思います」