先日の京都、龍安寺に伺って
いろいろ思い出すことと
重複する点もあるので
少しだけ綴ってみます。。。
龍安寺の石庭の奥には、茶室があって
その入口手前に、手水を張っておく石
知足の蹲(つくばい)があります。
その石には、
中心の“口”を共用して、
『吾唯足知』ワレタダタルヲシル
(龍安寺パンフレットより)
モノゴトに対して、
見る方向が違えば、見えないこともある
どうやったって見えないこともある
ついついやってしまいがちな、
見たい、見たい、見たい、見たい・・・
(足りていない、足りていない・・・)
仕事を辞めた、今、
いろんなことが見えて、
しあわせな気持ちで
満たされているのは、
この “知足” を味わっているのだと
しみじみ 感じています。
自分を振り返り③
の続きです。
『何かの役に立っていないと
存在してはいけない』
この信念が、“仕事”をする上で
具体的にどのような制限を課してきたか
『失敗してはいけない』
『頼まれたことは
必ずやらなくてはならない』
『いつも細かいことに
気がつかないといけない』
『必ず最後まで責任をもって
やり遂げなくてはいけない』
そのとき、心の奥底では・・・
・・・・やれるよ!やれるよ!
やろうと思えばなんなとやるよ!
・・・・でもでもでも、コワイやん!
初めてやし、やったことないし
どこから手をつけるん?
どうするんよぉ~~~
で、そのまま、突っ走っていきます
結果・・・それなりに、それなりに
やってしまっています。
この信念は、仕事をする上で
ある程度は必要でした。
バネのような役割をした存在でした。
これがあったからこそ、
越えられたこともありました。
ただ、心が置き去りに・・・
初めてのことだと不安で、
失敗したら・・・と思うと
すっごくコワいのに
誰にも頼れない。。。
実は、 “頼れない”というより
自分の中で
“頼らないことを決めている” から
それは、
『何かの役に立っていないと
存在してはいけない』
= 役に立っていない状況は
私は消えてしまう!
(私は死んじゃう!!!)
と、心の奥底から
信じきっているのですから
コワい気持ちになるのは
当たり前です・・・
ただ、私にとって、
「ありえな~い!」と
思っていたことですが、
この “頼る” という行動を
起こすことにしました。
上司、同僚にはもちろん、
特に、部下にも “頼る”ことを。
私が苦手なことはとりあえず “頼む”
私ができることであっても “頼む”
今まで私がやってきたことも “頼む”
最初は、頼んだあとも
気になって、気になって・・・
進捗状況を頻繁に確認してみたり・・・
聞いてこられてもないのに
アドバイスしようとしたり・・・
“頼る” と決めたのに、
頼りきれないよぉ~!!!
辞める最後の2~3年くらいは、
この“頼る” “頼りきれない” を
繰返し、繰返しトライしていました。
最後の1年くらいで、
ようやく気持ち的にも落ち着いて
頼ることができるように
とても安心している自分がいました。
そして、その部下も自信に満ちて
活躍しています。
何年間もず~っと、
仕事を辞めたい辞めたいと
思っていましたが、
この数年間の経験は
とてもとても重要なことでした。
おそらく、
辞めたい辞めたいと思っていたときに
勢いで仕事を辞めたとしても、
私にとって不都合な状況は
必ず起こったでしょう
今、思えるのは、
コワいけど、コワいまま行動に移すこと
コワいが大きければ、小さくして
とりあえず、行動につなげ、
経験することで変化できることが
わかりました。
今後、コワいがあったとしても
とにかく行動に移せるよう
心がけていきたいと思います。
振り返りはこの辺で終わります。。。