金曜夜、少し咳が出るなあと思っていたら家人に「念のためコロナ検査して」と言われて検査したらなんと陽性。
熱はなく、喉の痛みもなく、まさかと思いつつ、でも家人は翌日からの近くのホテル避難を要請。
今のコロナルールは、外出自粛は任意としながらも5日間の自粛推奨、だそうだ。
(ただしその間でも、2日続けて陰性だったらその翌日からは外出OK)
翌朝、近くの一番安いホテルを念のため4泊予約、さっそく出発した。
でもモノは考えよう。
全く一人だけの自由時間を4日間得た。
朝から晩まで自由である。
さて何をしよう。
まずは今読んでいる本の上巻と下巻をいっしょに持っていき、併せてかねてから時間のある時に腰を落ち着けて読みたいと思っていたあの本とこの本と、、、
一人で旅行に行くわけではない。
であればあまり動かずにのんべんだらりとしながら、やはり気楽に本を読むに限る。
土曜・日曜と、昼間長い時間ホテル近くの路面喫茶店にいながら、読みたいペースで読む。
夕食で近くの駅ビル内レストランに歩いて行った後に、またそのビル内の喫茶店で本を読む。
何の邪魔もなく、誰に気を遣うでもなく土日が過ぎていった。
日曜の夜、再度検査したらなんと今度は陰性。
金曜日は偽陽性だったのかも、との思い。(実は2年前にも一度偽陽性になったことがあった)
月曜も陰性だったら火曜日には帰っていいことになる。
月曜日、さすがにコロナで月・火と休むので仕事関係の連絡がいくつか必要で、それを午前中に済まし、昼前に喫茶店で遅いブランチ。
外を見ると多くのサラリーマン。
速足あり、昼食に向かう一団あり。
表情を見ると、給料分の仕事をしてるからいいだろうという、団体の中の顔。
歩きながらも次の仕事のプロセスを思い描こうとしている顔。
ただ「疲れた~」と言いたげな顔。
あくまで直観だからなあと思いつつも、意外に間違ってはいないようにも思う。
6月で3年にわたってやってきたプロジェクトが終わった。
前回の時(4年半前に終了)よりも、諸般の事情により難易度は明らかに高かった。
でもどうにか思っていた形に近くして終えることができた。
無論、いろんな方のサポートあってのことである。
年齢的に、「おそらく自分が主としてやるのは今回が最後になるかもしれない」と数か月前に覚悟した。
ラストスパートにおいては、自分がこれまで経験してきたものを最大限出すつもりでいた。
終わったらしばらく休もうか、とも思ったりした。
前から行きたいと思っていたところやふらっと初めてのところに行く旅、、、
地元に帰って会うべき人たち、、、
そういったところに合計数か所行ってもバチは当たらないだろうと思ったし、今も思っている。
平日に普通の休みを取るというのはいつ以来だろう。
月曜日はただただ「休みだあ。」という気持ちで過ごした。
夜、再度検査したらやはり陰性だった。
よって翌日の夜、自宅に帰る。
翌火曜日、旅行でもなく、ただじっとしている休暇に、前日と違って心のどこかに少し「あんのんとした気持ち」への迷いめいたものが。
それは素直な気持ちである反面、こざかしい日本のサラリーマンの典型かもなあとの気持ちも。
さて、自分はこれから何をやりたいのだろうか。
仕事では?
プライベートでは?
前回のプロジェクトが終わった時に同じ問いをし、特にプライベートのほうではいくつか書き出し、この数年間、それを頭に描きながら過ごしても来た。
よって今思い描こうとしても基本的に同じような内容のことが浮かぶ。
でもそれでいいと思う。
ただそれらを思うようにやろうとすると実際のところ時間が足らない。結果、土日が平日以上に多忙になってしまうことが少なくなかった。
この月曜・火曜は仕事もない。プライベートでやることもない。
本当に全くの空っぽの二日間である。
考える時間だけはたっぷり。
でも考えることも途中でやめた。
外は夏の暑い日差し。
セミの声はしない代わりに人の歩く音がするだけだ。
時間がゆっくりと過ぎていく。
数十年間あくせくしながら毎日を過ごしてきた。
この4日間はどこに行くわけでもないただゆっくりする日々。
まるで「あくせくしないということを体感してみる」日々だった。
でもある意味それは贅沢な4日間だった。
人の心配事は、これから起こるかもしれないこと、こうしたらああなるかもしれないという憶測などがその過半を占めるともいう。
最善かどうかはわからないが善を尽くして結果を待つというふうに思えばそういう心配もある程度落ち着く。
明日から何かが変わるわけではない。
普通にまた会社に行く。
でも立ち止まって周りを見るということもありだと思った。
いいブレイクになった。